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涙が枯れるまで


私が、涙が枯れるまで泣いたことがあるのは
3回だけです。


1.父の最後の言葉

1回目は、
父が亡くなったときです。
私は父がなくなる2日前に一晩中付き添いをしました。
もう、手の施しようがなくいつ旅立ってもおかしくありませんでした。

父は、もう水分を口にするのがやっとでした。
夜中、私は心配で眠れませんでした。
それは、もう父は長くないと思っていたからです。
どんな、父も焼き付けようと思っていました。

答えが返ってこないのは解っていたのに私は父に、
「ごめんね。私はモテないから結婚もできなかった。
だから、孫も結婚する相手も会わせてあげられなくてごめんね。」と。

もう、ほとんど話せない父が力を振り絞りながら、
「頑張って、頑張って、頑張って」と。

今、こうして思い出すだけで涙が出そうになります。
これが、父と私の最後の会話でした。


2.坊主になってくれない?

2回目は、母の死です。

余命宣告をされていました、3ヶ月と。
私は母を愛しすぎていました。
だから、余命宣告を受け容れませんでした。

医者の言ってることなんて、嘘だと。
私は神様に祈りました。
「私から母を奪わないで下さい。どうか生かせて下さい。」と。

母は、
私を独りにしないために生きようとしました。
すでにステージ4なのに抗がん剤治療を受け、
私の好きな写真を理解し、
怠い身体で車いす生活になってもかかわらず、
被写体になってくれました。
私の願いを叶えてくれました。

ある日、
「温花、坊主になってくれない?」と。

突然言い出すので驚きすぎて、
「できないよう」と笑いながら答えてしまいました。
今なら坊主になれるのに。

母の写真は幸いなことに沢山あります。
まだ、全部を見ていません。
涙が枯れるまで泣きそうだからです。


3.涙が枯れるまで

3回目は、愛してる人が突然消えた日です。

愛してる人は私の家に来ました。
3時間、車を運転して訪れました。
緊張しいの私は嬉しくて小刻みに震えていました。
愛してる人は黙って抱きしめてくれました。
震えが止まるまで。

運転したのが疲れていたせいか、
私の部屋で3時間眠っていました。
愛してる人の寝顔はとても愛おしかったです。
ずっと見つめ、私は手を握っていました。

そして、自然の流れで愛し合いました。
何かを確認するように、
優しく体に触れたり、
何度も唇を重ねました。

ですが、私の異変に愛してる人は気づきました。
私のトラウマに気づいたのです。
自分でさえトラウマを忘れかけていました。

言い当てられて驚きすぎて、
「うん」と頷きました。
トラウマに気づいたのは愛してる人がはじめてだったのです。

ちゃんと説明をしないと、そう思った私は会った次の日に打ち明けました。

愛してる人は、
「もう、会えない」と。
「別れるってこと?」と私は尋ねました。
「東京タワーにも行けないの?」と聞きなおしました。

やっと、本当の別れを告げられたことに気づき、
泣き崩れました。

愛してる人は、
「騙した形みたいになってごめん」と言いながら、
気のせいか泣いてるように感じました。

涙が止まるまで愛してる人は聞いてくれていました。

電話を切り終わると、
私は愛してる人に迷惑をかけたくなくて、
ほんの2~3分ブロックしてしまいました。
慌てて解除したら、今度は愛してる人がブロックしてました。

なんで、そんなことをしてしまったのかまだわからないでいます。

心は今でも泣いています。
会いたくて、
愛してると言いたくて、
抱きしめたり、
エッチしたり、
キスしたり、
手を繋ぎたいのです。

金沢に行ったり、
ドライブしたり、
行けなかった東京タワーに行ったり、
約束した愛してる人の家に行ったり。

どこか、まだ別れたことが他人事なのです。

また、何故か会えるような気がするのです。
そのときはいっぱい笑ったり、
思ってること考えてることを伝えたり、
一緒に歯を磨きたいです。

涙が枯れるまで、
いつになったら泣けるんだろう。


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