支援者を考える~ASD当事者の立場から その3

 あるフォロワーさん(放デイスタッフ)のTwitterとリプを読んで愕然としました。この2つを整理すると、『仕事は充分したのだから、後はどうなっても知らないスタンスを取り、利用者の利益のために戦うことができてもリスクが高ければ「やらない」という選択肢になる。持続可能な経営なのでそう言えば何でも許されてしまう。このことは「話を聴くだけでもリスク」が多く、上からの命令で深入りするなと言われることも多い』というものでした。就労移行支援Sでの「同性支援」の状況と重なることから、私は愕然としたのです(『私の「トラウマ」体験』で書いているところです)。
 ここまでの話で「欠けている」ものは何でしょうか。それは「言葉」だと考えます。しかも、力ない立場にある利用者の「言葉」です。ここには支援者の「大きな声」が利用者の「小さな声」を抑圧する様子が浮かびます。
 少し話がそれますが、私は就労継続支援A型(飲食業)の利用者です。週5日勤務でその内の4日は食後のデザートを作ります。何を最も気にするかと言えば、お客様がどう反応するかです。なぜこんなことを書いたかと言うと、基本的にお客様が料理のことについて尋ねたり等することは正常な反応であり、それに答えることは店側の責任だからです。私もデザートに関しては常に答えられるように準備しています。
 ということは、支援(ここでは福祉)においては、お客様にあたる利用者に自己責任を課して、支援者が責任を負わないというのは抑圧であり、人権侵害にもなり得ます(因みに、お客様と言えば、カウンセリングにおいては、カウンセラーに対しクライエントです。クライエントとは元々顧客という意味です)。この状況は飲食業ならば、店側が料理のこと等について答えられない(答えない)のと同じことになります。お客様の立場ならば、そんな店は多分、2度と行かないでしょう。
 支援者ー利用者関係も同様のことが言えるでしょう。利用者が何らかの疑問を尋ねて支援者がそれに答える、あるいは答えようとする方が正常な状況でしょう。にもかかわらず、そうしない、そうしようとしないのは力ない立場にある利用者の「言葉」を無視しているということになります。それは支援者の「大きな声」を押し付けることにもなりかねません。そこには「話なんて聴かなくてもいいんだ」と支援者が思い込み、利用者を思い通りに動かそうとする姿が浮かびます。その通りにならなければ威圧したりキレたりして利用者を怯えさせてしまう。そんな福祉施設に利用者が行きたいとは思えません。「言葉」がないのですから。
 ただ、逆に言えば、「言葉」、特に利用者の「小さな声」が貢献する余地があるということでもあります。支援者がその声を聴いて自分たちの「特権」(『脱「いい子」のソーシャルワーク』   P188)を使って仕事に活かしていくことができれば、利用者だけでなく、支援者側にとっても利益になります。そのためには、支援者が利用者の話を聴くことは欠かせません。当然、そこにはリスクはあるし深入りもするでしょう。ただ、私は「話を聴くこと」は支援者(力ある立場)に漬物石のような重しを掛けることと認識しています。それは長い目で見れば、「言葉」が積み重なっていくことで、支援者が思い通りに動かそうとすることを防ぎ、利用者と支援者のお互いの利益になることとも考えています。そのためには、支援者は「自分が権力を持っていることに自覚的になり、弱い立場の人の側に立ち、そのために使う」(同P188)ことが必要になります。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
  
 参考文献 『脱「いい子」のソーシャルワーク 反抑圧的な実践     
      と理論』(坂本いづみ 茨城尚子 竹端寛 二木泉 
      市川ヴィヴェカ著)
 
 

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