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あるASD当事者の備忘録

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発達障害(ASD)・精神障害当事者の備忘録です。話があちこちに飛ぶかもしれませんがご容赦くださいませ。
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記事一覧

音楽に関する小話ー「何より音楽を楽しんでいるか」

 「いきなり黄金伝説」的なタイトルになりました。しかし、これまでの記事ではピアノレッスン…

『精神分析にとって女とは何か』(西見奈子編著 福村出版)を読んで

 『精神分析にとって女とは何か』(西見奈子編著 福村出版)を読了しました。そうしたら自分…

支援者を考える~ASD当事者の立場から その5

 Twitterを読んでいたら次のような文章が紹介されていました:  『治療に抵抗するクライエン…

最近、noteに気持ちがいかないこともあり、ご無沙汰していました。「スキ」を頂いていることには誠に感謝しています。ただ、ピアノの練習をスキマ時間を見つけては毎日練習を継続しないと、保育はおろか発表会も遠のくので、時間があればピアノを練習しています。でもピアノは基本好きです。

『精神分析にとって女とは何か』(西見奈子編著)を購入しました。読了したら自分の考えをnoteにまとめます。私は大学時代に臨床心理(精神分析)と女性学(フェミニズム)を勉強していたので、この両分野の関係性に非常に関心があります。なので、そこを考慮して読み進めていきたいと思います。

50歳を迎えた「私」の今後について

 2024年4月4日(木)に、私は50歳の誕生日を迎えました。50歳と言えば『50にして惑わず』とい…

「勝てば選手のおかげ、負ければ監督の責任」「名選手、名監督にあらず」ー「支援者」としての考察

 いきなり何だろうと訝しげに思った方もいるかもしれませんが、以下で評細かつ具体的に説明していきたいと思います。  「つぶやき」で書きましたが、去る3月23日(土)に「保育士証」が郵送されました。これでとりあえず「保育士」としての仕事の道が開かれたことになります。もちろん、気持ち的には嬉しいです。ただ反面、気が引き締まります。私は現在、就労継続支援A型の「利用者」であり、「保育士」であるということは「支援者」サイドに回ることを意味するからです。今回はその「利用者」と「支援者」の

信田さよ子・東畑開人編『心理臨床と政治』を読み始めました。読了後、この本に対する私の考えや感想等をnoteに書きたいと思っています。女性学では『パーソナル・イズ・ポリティカル(個人的なことは政治的なこと)』と言われることを踏まえ、この本を読み進めていきたいと考えています。

「国際女性デー」によせて

 毎年3月8日は「国際女性デー」です。私が住んでいる宮崎県では、今年も新聞に各地域の男女平…

支援者を考える~ASD当事者の立場から その4

 「教員に人権はないのか!!」と言い放った教員について守られ過ぎだという批判的な意見をTwit…

『カウンセラーは何を見ているか』(信田さよ子著 医学書院)を読んで

 『カウンセラーは何を見ているか』(信田さよ子著 医学書院)を読了しました。その内容はも…

「勉強はできるけど仕事ができない」-ASD当事者の1人としての考察

 「勉強はできるけど仕事ができない」ーこれは発達障害の1つであるASD(旧アスペルガー障害)…

最近、Twitterでいじめに関するアカウントに接する機会が増えてきました。読みながら、大人での様々なハラスメントや性暴力等と似通っていると強く感じます。いずれも「暴力」であり、許されません。ただ、保育等の早期の段階からどのようにしたら防げるのかを考察してみようと思いました。

「特性」についての考察~ASD当事者の立場から

 今回は「特性」について、ASD当事者の1人として日頃考えていることを綴ってみたいと思います。ただ、全てのASD当事者がそう考えているわけではないということはお断りしておきます。  実は、私はASD(旧:アスペルガー症候群)の特性と呼ばれる事柄からは距離を取って見ています。この特性というのは健常者という上の立場の方々からの見方だからです。例えば、ASDの特性においては「社会性がない(あるいは乏しい)」とか「空気が読めない」「人の気持ちが想像できない」等と説明されますが、この「