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楽しみだった秋のお祭り

 小学生の時の朧げな記憶を綴ります。今回は、「おくんち」の記憶です。

私が育った九州北部の町では、おくんちについての説明が以下のように記述されています。

神社では1年を通して様々なお祭りを行っていますが、その中でも最大で重要なお祭りを「例大祭」と言い、九州北域(長崎・佐賀およびその周辺)の一部では、それを『おくんち』と呼びます。昔からこの辺りは旧暦の9月9日前後に例大祭を行なっていました。その9日(くにち)が「くんち」に変化したのでは、と考えられています。

Wikipediaにも記載がありますが、「おくんち」という呼称の根拠は明確ではないようです。

 おくんちのメインは、流鏑馬や蛇踊りだったと思いますが、私の記憶は出店で遊んだことがほとんどを占めています。

 私が小学生高学年の頃は、毎年10月になるとおくんちの日が楽しみでした。おくんちの日は、学校は確か、午後お休みになっていた記憶があります。みんな、家に帰ってすぐランドセルを放り投げ、おくんちの出店が集まる通りに集合して色々と見物するとともに、遊び回っていました。おくんちの時には、商店街の通りは車の通行が禁止され、いわゆる歩行者天国状態になっていたと記憶しています。夕方暗くなるまで友達と遊び回っていました。

 その中でも、一番流行っていたのが、「カタヌキ菓子」でした。流石に料金は忘れてしまいましたが、動物などの形が書いてある四角いお菓子(?)を針など使って書いてある動物などの輪郭をきれいに剥がしていく遊びです。完全な形で動物を取り出せたら、お金が何倍かになって戻ってくるような遊びでした。しかし、記憶の限りは、一度たりともできた記憶がありません。しかも、お菓子ですが、食べても美味しくないものでしたね。今思うと、型を抜くという作業そのもののが楽しかったのかもしれません。毎年、友達といつも競争していました。もし、今の年齢でおくんちに行って同じことをしても楽しいと思うかどうかは自信がありません。

 次に夢中になっていたのが、「鯉釣り」でした。返しのついていない釣り針(通常の釣り針は、かかった魚から針が取れないように棘みたいなものがついています)を使って、泳いでいる鯉に引っ掛けて釣り上げるのですが、糸が細いため重量がかかると切れやすく作られているのです。つまり、返しのない針、弱い糸という二重の罠が仕掛けられている遊びなのです。しかし、二回に一匹くらいは何とか釣り上げることができていて、それを知り合いのおばさんの家に自慢げに持って行ってました。おばさんの家には池があって、鯉も何匹か泳いでいました。今思えば、ほぼ押し売りのようなものですが、釣った鯉をおばさんに買ってもらっていたのです。お小遣いをもらった上にお菓子ももらっていましたので二兎を得ていたわけです。そして、手に入れたお小遣いを持って、また「カタヌキ」をする。そして失敗するということを繰り返していたことを覚えています。

 土日になると、広場にサーカスや陶器市が立っていました。この時は、父に手を引かれてサーカスに行った記憶があります。目の前で空中ブランコを見て子供なりに感激したことを覚えています。サーカスの隣には、見せ物小屋もあって、なんとそこには「大きなへびを体に巻き付けて座っている蛇女」が柵の中にいて見せものになっていました。それ以外は全く記憶に残っていないくらい、強烈な印象を受け、早々に見せ物小屋から出ていました。

 今思い起こすと、50年以上前の記憶なので、どこかは誇張されてメモリーされているのかもしれませんが、秋の一番の楽しみだったことは間違い無いでしょう。小さな田舎町なのにすごい人混みで賑わっていたことがとても懐かしく感じます。

 今では、水軍祭りというものが始まっているようです。もちろん、流鏑馬や神輿も出ているようで、はるかにお祭りらしくなっているのかもしれません。一度くらいは、最近のおくんちを見に行きたいものです。


※この記事の表紙の写真は、現在のおくんちの神輿です。




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