つみのかじつは夢をみせる【編集版④】

 1時間くらい寝ようと思って布団に入ったら3時間経っていた。あるある。あと、リリースされたマッキーこと槇原敬之のセルフカバーアルバムを聴きながら「3月とマッキーの声の親和性」について考えながら朝バイトに向かったのにバイトが終わって外に出たらなんだか凄く雪が降っていて今はまだ2月の真冬なのかもしれないと思い直したり。今日はそんな1日だった。

 ということで昨日の続き。今日は「同じ夜」。一昨年から去年にかけて物凄く落ち込んでいた時期に聴いていた楽曲だった気がする。落ち込みすぎてTwitterは開くけどみんなでおしゃべりして交流するツイキャスやスペースには入っていけなくなった。そんな時期の話である。

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不安な夜に縋るのは~「同じ夜」~
 SNSで綴られる言葉ほど本当の意味を読み取りづらいものはない、と最近よく思う。記号や絵文字、顔文字に助けられることもあるしラフなやり取りの時にはそれらを付けることを意識している部分もある。それでも本を読んでいる時のようにしっかり読み取ることはできないし、つけようと思っていて忘れたときの「あああ間違って伝わってしまったらどうしよう……」感はぬぐえない。加えて最近は誰でも簡単にフォロワーとお喋りできるような機能も増えて、リアルで会えなくてもインターネットの中での人との距離が近くなっているように思う。声は聞こえてもトーンで読み取るには限界があるし、表情が読み取れない分うまく距離を調整するのが難しい。そこに私はある日ついていけなくなった。仲の良いフォロワーと喋るのは楽しいし、最初はそんな機能が面白かったりしたのだが、今までになかった距離の近さに疲れてしまった。人と話しているはずなのに孤独も感じた。近いのに遠い。直接会って笑ったり愚痴を言ったりする時には感じたことのない感情が出てきて、仕舞いには今までそんなに気にならなかったのに、顔の見えない相手が綴った言葉の本来の意味とか相手の表情が気になりすぎるくらいに気になるようになって、わからなくなることが増えて、不安を感じることが増えた。眠れない夜に悶々とすることが増えた。
 『無罪モラトリアム』に収録されている「同じ夜」はSNSに限らず、夜に感じるような不安とか孤独を歌った楽曲である。それと同時にこれは福岡から一人、シンガーソングライターとしてデビューするために上京してきた椎名自身の心情を表しているのではないだろうか。
〈飛交う人の批評に自己実現を図り戸惑うこれの根源に尋ねる行為を忘れ〉
〈吹き荒れる風に涙することも 幸せな君を只願うことも 同じ 空は明日を始めてしまう 例え君が此処に居なくても〉
 歌詞の出てくる〈此処〉は恐らく東京のことを指すのだろう。故郷を出て、作品に対して自分の意図しない批評が飛び交うこの世界で生きていく孤独や不安を感じていく中でも明日は来てしまう。自分が幸せでいてほしいと願う君が此処に居なくても、だ。世の中の理不尽さや空気や評価と、自分の考えや思いとのギャップはどうすることもできないのに。明日、来てほしくないなあ、地元に居た頃に戻りたいなあ。小さな町だし、昼間ですら歩いている人を見かけないような町だけど、それでもやっぱり帰ってくると安心する。そこに戻りたい。明日が怖いと思ってしまう時、大体いつもそう考えている。彼女も同じようにおもっていたのだろうか、二番では彼女が育ち、アルバムの一曲目に収録されている「正しい街」の舞台にもなっている故郷・福岡の地名も歌詞に入っている。
〈彷徨う夢の天神に生温さを望み行交う人の大半に素早く注目をさせ 其の欲が充たされたあたしの眼にも果てることのない夢 映されるのか〉
 しかし、どれだけ故郷を思ったとしても現実は変わらない。
〈泣き喚く海に立ち止まることも 触れられない君を只想うことも 同じ 空は明日を初めてしまう 例えあたしが息を止めても〉
 このまま息を止めてしまっても、誰も気づいてくれないまま今日と同じように明日が来てしまうだろう。『三毒史』に収録されている「TOKYO」では、
〈変わらず誰にも甘えず、ずっとひとりなら長いわ。高が知れた未来。短く切り上げて消え去りたい。飲み込んで東京。〉
と、このままなら未来は高が知れている、だから自分が生きると決めた東京という街に丸ごと飲み込んでもらいたいと歌うのだが、これはちゃんと大人として成熟した故の歌詞であって、「同じ夜」を歌っている時の彼女はまだまだ未熟で大人になりきれていないのだ。
 聴いていて、地元を離れた初日の夜を思い出した。引っ越しや生活のための準備を手伝ってくれた母を見送り、これから一人で暮らしていく部屋の戻った時、どうしようもないくらいの孤独や不安に襲われて、実家の、そして地元の温かさを知った。それからしばらくの間は、バスターミナルの前を通るときも、JRの改札口で地元方面に向かう特急の改札アナウンスを聞く度にそれを思い出した。それでも変わらず今日と同じように明日がやってきて、同じように毎日は続いていった。今はとっくに一人で居ることに慣れたけれど、それでも時々思い出しては忘れていたはずの孤独や不安にさいなまれる。そして何かに縋るように、この曲を暗い部屋の中で再生するのだ。

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 今はもう大丈夫である。夜中のツイキャスやスペースに入ってフォロワーの面白い話をBGMに読書をするし、時には私自身もその場で喋る。くだらない話で笑えるのは幸せなことだ。しかしまた不安になって蹲ってしまう日が来るかもしれない。その時はまたこの楽曲に縋ろうと思う。逃げ道みたいなものなのかもしれない。

知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。