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福田村の空気

1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。そのわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。

福田村事件オフィシャルホームページ

少し前に「福田村事件」という映画を見てきた。
映画は二つの視点で進んでいく。
一つは、福田村。もう一つは、四国の薬売りの行商だ。
序盤、福田村では昼ドラのような小さなコニュニティーのドロドロな人間関係が描かれた。薬売りの行商たちは、薬を売りながら東を目指していた。

行商たちが東京にいるときに関東大震災が起こった。不安感からかさまざまなデマが広がり、それを煽る新聞記事まで出ている状況だった。

そんな中、行商たちが福田村を訪れることで事件が起こる。最後の30分は怒涛の展開で恐怖を感じた。


映画を見終わってこれは「空気」の映画だと思った。

大学生の時に考え方のセミナーに参加したことがあった。そこで優先順位の付け方やロジカルな思考について学んでいた。その時に紹介されたのが山本七平の「空気の研究」だ。

2007年の新語流行語対象に「KY(空気読めない)」がノミネートされたが、まさにあれだ。
その「空気」とは何かを解説している。

新語・流行語になる前に、日本には空気が存在しているらしい。
その力は絶大で、太平洋戦争に進んだ理由も当時の空気だったと解説している。

「空気」の力は、そうではないと思うことでも目指した方向とは違う方向へ舵を切ってしまう程の力があるため、この本を多くのリーダーが読んでいるらしい。

1998年のフランスワールドカップ出場に向けて「もう無理なんじゃないか」という空気になりかけた。それをあおる報道記者に対して当時日本代表監督をしていた岡田武史監督が「『空気の研究』を読んだことがあるか」と問いかけたのは有名な話だ。

私はリーダーでも無ければ、上の立場でも無いが確かに「空気」を感じることがある。新語・流行語になるくらいなので、全年代で感じていることだと思う。

その「空気」を操ることが出来たら最強だと思うがそんな簡単なことではないし、抗うことも簡単なことでは無い。

でも、これまであった友達には空気を読むことなくダメなものはダメだと言えるかっこいい人も確かにいた。その場には気まずい雰囲気が漂い、そのコミュニティーには居づらくなるが、それがどうしたというスタンスだった。今考えてみれば、その通りだしわざわざそこに留まる必要も全くない。

子供のころは世界が狭く、その中で生きていかないといけないという感じがあるが、大人になれば多くの世界があることに気づく。

「空気」のせいでという言い訳をしないように、「空気」を読まないように生きたほうがいいのではないかと思う。


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