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インカトレイル-最終日-

ついに最終日

4日目に歩く距離は、1時間もないくらいだが朝はいつも以上に早かった。
暗い中でパッキングして、忘れ物がないようにヘッドライトで何回もテントの中を確認した。

マチュピチュへは太陽の門から入る。
太陽の門は一般の観光客が入る門ではなく裏門のような場所にあった。
ただ、インカ帝国時代はこちらの門が正門だったみたいだ。
寒い中最後の力を振り絞り門の前まで行くと、他のパーティーが開門を待っていた。私たちもその列の最後尾についた。

時間になると太陽の門が開き、進むと急な石の階段があった。
ほぼ崖みたいな角度の階段を四つん這いになりながら登り切ると、マチュピチュが現れた。

ついに到着した。

マチュピチュを前に、シャッターを切り続けた。
ここからの景色は、インカトレイルを経験した者しか見られない特別なものだ。
開門は日の出に合わせているので、太陽の門に立ちマチュピチュをみるとその後ろから太陽が昇っていた。

完全に日が昇り切った後に、再び歩き出しマチュピチュの中に入った。
これまでの3日間と違い、人で溢れていた。
久しぶりの人ごみに酔いそうになる。
ここは英語だけでなく、スペイン語やフランス語、日本語も聞こえてくる。

一度、バス停まで降りて大きな荷物を預け再入場した。

マチュピチュには多くの謎が隠されている。インカ帝国のアンデス文明は文字を持っていないため継承もされていないらしい。大きな川の近くに大きな文明が発達するのが普通だが、アンデス山脈という過酷な環境で発展した理由もわからない。
驚いたのは、山頂に近い位置にあるのに水が枯れていないことだった。水を町全体に張り巡らせる工夫も多かった。

マチュピチュを一周したあとにパーティー全員で記念撮影をし、4日間辛い旅路をともにしたガイドとお別れした。帰りは、バスに乗り麓の街「アグアスカリエンテス」に降りた。

私たちは、アグアスカリエンテスに一泊するのでホテルへ向かった。
他のメンバーはこのまま列車でクスコまで向かうらしい。「来年、東京オリンピックに来るなら連絡して」と言い見送った。

ホテルに着き、荷物を下ろしシャワーを浴びると疲れが襲ってきた。
本当に一歩も動けない。
寝るのにも疲れすぎて、体が痛くて眠れない。
それでも、ベッドで横になるしかない。
記憶がなくなり、起きると夜中だった。

友達も横で寝ていた。
ホテルに入る前に買っておいたパンをつまみ、お腹を少し満たした後再び眠った。

外が明るくなるのを感じ起きようと思ったが体が痛い。動きたくないが、お腹も空いているし、ある程度動かないと痛みは取れないのはわかっていたので仕方なく、朝食を食べるため食堂に向かった。
足は痛かった温泉に入るために出かけることにした。
温泉にも入りぼーっとしていると睡魔が襲ってきた。
浸かりながら少しだけ眠った。

リフレッシュできたので電車の時間まで、お土産を物色した。
駅の近くには多くの土産屋があり、賑わっていた。
その中で気に入ったTシャツを買った。ただ、安物なので来ているとすぐに襟がボロボロになってしまい、一年後には納めてしまった。
そんなことをしているとすぐに時間が過ぎ、電車の時間になったので電車に乗り込み出発したクスコへ向かった。

クスコに着いたのは、夜の7時くらいだった。
宿に荷物を預けていたので、それを受け取りシャワーを浴びフロントを通ると3人組の日本人が受付をしていた。その人達は友達の知り合いだった。
世界の狭さを感じつつ、インカトレイルの感動を食堂で語った。

周りには、南米の人だけでなく、世界中の旅行者が集まっていた。

翌日は、予備日として取っていたので何も予定のない日だった。
疲れもあり、ただただのんびりと過ごした。

そして、クスコ出発の日。
安い航空券はどうしても朝早くなるので、5時くらいに宿を出ることにした。
前日にホテルのフロントでタクシーを頼んでいたが、時間になっても来ない。
どうしようもないので、タクシーが止まっているセントロまで歩くことにした。

友達とは、宿でお別れだ。

タクシーを捕まえ、空港まで行きチェックインして離陸を待っていると、だんだんと空が白んできた。
飛行機がゆっくりとスピードをあげコロンビアへ向かい始めた。

クスコの街並みが見えなくなったので、私はタブレットを開き最近買った漫画を読み始め、ペルーの旅が終わった。


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