見出し画像

インカトレイルークスコから出発ー

出発する日の朝。
まだ日が昇っていない時間に起きて、身支度をしてホテルのフロントで待っていた。

まだ頭がボーっとしているときにチャイムが鳴り、迎えが来たことを知らせてくれた。
ガイドに連れられて大通りまで少し歩き、大型バスに乗り込んだ。
昨日のレインボーマウンテンの時と違い、乗っているのは10人程度だった。

だんだん空が明るくなってきた。
昨日も同じような風景を見たはずなのに、もう一度感傷に浸った。
出発して1時間経ったくらいにバスが停まり、朝食の時間となった。
そこは昨日とは違い、しっかりとした建物でアレパや目玉焼き、おいしいコーヒーが出てきた。バスは更に進み、インカトレイルの出発地点に到着した。

バスを降りた場所にはビジターセンターがあり、そこでこれから4日間を共にする仲間に自己紹介をした。
全て英語での挨拶で解説だ。私と一緒に行った友達は、英語ができるからいいが私はまったく出来ないので、通訳してもらった。
私たちのパーティーは、ツアー参加者8人にガイド1人、ポーターが10人だった
朝食の時から気づいていたが、アジア系は私たち2人だけ、他の参加者は全員アメリカ人で、たぶん50代くらいの夫婦2組に20歳くらいの兄弟に私たち2人というメンバーだ。

ガイドはペルー人なのでもちろんスペイン語ができるが、ツアー中は英語を話す。私と二人で話す時は気を使ってスペイン語にしてくれた。話を聞くと、いつも参加者は欧米人らしい。
日本人をガイドしたのはこれで2回目だそうだ。

確かにツアー料金は安くない金額で、欧米人を対象にしているのだろうと参加する前から思っていた。
驚いたのがインカトレイルはペルーでやっているけど、チップの文化があることだ。コロンビアを旅しても、アルゼンチンを旅してもブラジルを旅してもチップの文化は無かったけれど、ここにはあった。
古代インカ道はアメリカだった。

歩き始めてすぐに、インカ道の標高が書いてある看板があった。
出発する場所は2500m。最高地点は4200m。マチュピチュは2500m。
約40㎞を3泊4日で向かう。

この看板を見て、ハードな道のりだと感じた。

看板を過ぎて、渓谷を歩いているとすぐにインカ帝国時代の遺跡が見えてきた。
石で積まれた関所を通り石畳の道を歩いた。
石は一つ一つ加工されて、建設の大変さを感じる。

休憩場所には、観光客に飲み物やお菓子を売る人たちが集まっていた。
小さい子供を連れた若いお母さんもいた。
子供は、観光客からお菓子を貰い食べていた。

私と旅をしている人は、日本の特別支援学校で働いていて国際協力に明るい人だ。
その人は、「海外から甘いお菓子やジュースをここで貰って食べても普段はそんな高カロリーのものを食べていないし、歯磨きもしっかりできないだろうから虫歯とかになってしまうかもしれない」とぼやいていた。
たぶん、お菓子を挙げる人は喜んでくれる姿だけで満足し、そこまで考えていないだろう。では、何をしなければいけないかは私の足りない頭では考えきることは出来ないが、そういう視点があることは知ることが出来た。インカの道で一つ学んだことだ。


一日目は、大きな登りは無く初日のわくわく感で歩ききった。

キャンプ地に着くと、ポーターたちはテントの設営を終え、料理をしているところだった。

ポーター達は、私たちのテントや食料をキャンプ地まで運んでくれて設営・料理まで出してくれる。頼むと、寝袋や着替えなども運んでくれる。
現地の方々を雇っているようで、顔つきがペルーの原住民だった。

普段、山に行くときは単独行動が多いので何から何までしてくれるのに違和感があった。

荷物を置き、沈む夕日を見ながらちょうどいい疲労感を感じながらぼーっとしていると、ご飯が出来たよと声を掛けられた。

席に着くと、ポップコーンがテーブルの真ん中に置かれていた。それをつまみながら、明日の予定や体調について聞かれた。
話していると、一品目のサラダが出てきた。フレッシュなフルーツだったので、ポーター達のリュックに入っていたことに驚いた。
そのあとは、スープにメインの肉やオムレツが出てきて、山の中だということを忘れさせるくらい豪華だった。

次の日も早いので早々に夕飯の時間を切り上げ、歯を磨いてテントにもぐりこんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?