日本酒の火入れの話

日本酒には火入れ(火当て)と呼ばれる行程があります。

加熱することによって酒のなかに含まれる菌を殺したり、酵素を失活させることが目的です。この火入れを行わない酒を「生酒」と呼びます。

酵素や菌の体はタンパク質で出来ているので、酒を60度くらいに暖めると(アルコールの作用もあいまって)固まって死に始めます。アルコールの沸点は70度以上なので、酒の温度をだいたい65度くらいでキープすることで、アルコールを損なわずに効率的に殺菌できることになります。

この火入れ技術は室町時代に中国から輸入されたそうです。たまに「日本ではパスツールの300年前から火入れを行っていた(だから日本は偉い!)」みたいな言説がなされたりしますが、いわゆるパスツーライゼーションと火入れは微妙に意味が異なる話で、パスツールの功績は「それまでにあった自然発生説をエレガントな実験で否定し、発酵や腐敗は空気中から入る目に見えない微生物が原因で起こること、またその微生物は60度以上の温度で殺菌できること、そして、密閉した容器で60度以上に加熱すると微生物が殺菌されて長期保存が可能になること」を示したことによって、パスツーライゼーションという技術名の由来になるほど評価されているわけです。

室町時代の日本酒で行われていた火入れは75度程度の温度で行われていましたし、木の貯蔵容器のために密閉保存出来なかったために、厳密に言うとパスツーライゼーション出来ていなかったわけです。だから明治以前は、保存期間中に何度も何度も火入れして、それでも火落ちを完全に防ぐことは出来なかったみたいです。パスツールの発見が輸入されて火入れ技術に組み入れられるまで、日本酒を保存するのはなかなか難しいことでした。

生酒をそのまま常温で保存していると、残存した酵素によって香りの変化(いわゆる生老ねなど)や味の変化(味がダレる、などとも表現されます)が起こります。

日本酒は15度くらいのアルコールがあるので、大半の菌は生息出来ないのですが、例外的に火落ち菌や火落ち性乳酸菌などはこの環境でも生育できます。これらの菌が増えると、ドブのような不快な香りがでたり、強い酸味がついたりして味が損なわれます。

これらを防ぐために火入れという工程があるわけです。

火入れの方法にはいくつかの種類があって、

蛇管火入れ

プレートヒーターを使った熱交換法

瓶火入れ

などが地酒の酒蔵では一般的でしょうか。

蛇管というのは名前の通り、蛇がとぐろを巻いているような形をした管です。これを湯のなかに沈めポンプで管のなかに酒を送ると、グルグルと酒が流れていくうちに暖められて、火入れができる、と言うものです。

手軽だし連続的に火入れが出来るので多く使われている方法ですが、熱湯で直接酒が暖められるので酒へのダメージが大きいし、酸化もしやすく、また火入れした後の冷却が難しいので、生酒との味の違いは大きくなります。

プレートヒーターは、牛乳の殺菌によく使われている方式です。原理的には蛇管に近いですが、細かい温度管理が可能で、火入れと同時に冷却も行われるので酒へにダメージは少なくなります。最近は「本当に火入れした酒?」と思うようなフレッシュなお酒が増えましたが、この方式が浸透しだしたからだと思います。

瓶燗は上二つとはことなり、一度瓶詰めしてから、湯のなかで瓶ごとお酒を暖めて殺菌する方法です。かなり手間がかかって面倒なやり方なのですが、特殊な機械はいらないし、酒の酸化も少なく、香りも逃げにくいので、昔から吟醸酒などの高級酒にはよく使われていました。瓶は温度変化に弱いので、プレートヒーターに比べると火入れによる熟成は進みますが、香りに関しては瓶燗の方が有利だと思います。

火入れによって温度が上がることで、酒のなかで様々な化学変化が促進されます。

プレートヒーターなどで火入れして氷点下の冷蔵庫で保温すれば、火入れした酒でも非常にフレッシュな状態を保てますが、逆に言うと熟成が進まないということでもあります。

熟成することによってでる、熟成させないとでない味もあるわけなので、一口に火入れと言っても、「このやり方が一番」と言いきれないのが難しい所であり、面白いところでもあると思います。

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