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ロングショットの人生

私の人生は結構破天荒かもしれない。
当たり前に生きてきたが経験値を重ねて振り返るとそう思える。

私は2度命を拾っている。

始まりは生まれた日。
私は死産予定でいざ取り出したらたまたま生きていた。
なんという幸運!なんという不幸!
これが1度目に拾った命。

それからというもの機能不全に近い家庭で育った。
家族は歯車で例えれば錆びた歯車、歯が欠けた歯車、大きさがバラバラ。
とにかくギリギリのバランスで保っていた。
思春期の今後を決める大切な時期の人間性を歪めるには十分な経験をした。
家族それぞれのプライバシーに関わるので詳しいことは割愛するけれど、そこそこ山あり谷ありだった。
私は15歳にして鬱病を発症した。
それもそうだ。
こんな環境にいて精神を病まないはずもなく、自分の周りの出来事で世界のすべてが構築されている子どもなのだから。

一家離散に近い形で我が家は各々バラバラの道を歩んだ。

年齢にして19歳、私は置き手紙一つで実家を飛び出した。
このまま家にいてはいけないと経験値の少ない未熟な人間ながら思ったのだ。
先に家を出ていた母を訪ねて上京した。

そこから紆余曲折ありながらも少しずつ世界が広がり若者らしくバイトに遊びに謳歌していた。
私達は無敵。
若者らしい勘違い、慢心。
今思えば羨ましい限りだ。

そして都会の忙しなさや厳しさに揉まれ鬱病の再発。
年齢にして25歳。
私は自殺未遂をした。
なんだか人生どうでも良くなってしまい勢いづいてそのまま死のうと思ってしまった。
泣きながら風邪薬の大瓶をかっ喰らい流しこみそのまま意識混迷になった。
救急車のなかで意識を戻しては失いを繰り返し、肉体が魂を引き戻そうとしている感覚を今でも覚えている。
気がつくと管まみれで集中治療室だった。
急性肝炎。
家族は2日がヤマだと伝えられていたらしい。

2度目の拾った命。

なんという幸運!不幸ではない!
これは紛れもない幸運!!

この経験で私は吹っ切れた。
「なんかどうでもいい」がネガティブではなくポジティブに向いた瞬間。
どうでもいいなら生ききっちゃお!
せっかくだし!
どうせいつかは死ぬんだからもったいない!
そんな気持ちで再スタートした。

そして38歳を迎えた今。
「ぜってー死にたくねー」の気持ちで生きている。
私は命を拾って今でも良かったと思っている。
今の私は歪ながらも少しの愛を注いでくれた家族や愛してくれている友人に支えられながら成り立っている。
感謝しきれない。
今となっては母は子どもの時よりも愛を注いでくれている。

あれだけ捨てたかった命だけれど、今はこんなに素晴らしい世界と離れるのはとっても惜しくなったのだ。
自分を消費しきって生きてやる。
不幸にして幸運なこの人生を私は愛している。
もし輪廻転生が本当にあるのだとしたら、私はまた人間に生まれ私として同じ人生を歩んでいきたい。

たまにふと鬱の気配を感じることはあるけれども、元気でなんとなくやっている。
毎日の繰り返しなんだからそんな日もあるだろうと余裕をもって自分の状態と向き合いバランスを取ることが出来ている。

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」
大好きなチャールズ・チャップリンの名言だ。
私はまだまだロングショットの喜劇を生きている。
小さな悲劇を繰り返しながら、最高の喜劇を演じたと満足していつか人生の終幕を迎えたい。
自分の人生は自分でデザインしていくのだと、
私は経験を通して学んだ。

自殺未遂をした当時の私と同じ淵に立たされている人々へ。
こんな人生もあるのだとひとつ参考にしていただけたら幸いです。

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