見出し画像

浮かんできてしまうこと。

ここ1週間くらい、
ここかしこで、ふと思い出している一節がある。

朝目が覚めた時、駅の階段を上っている時とか、スーパーでプチトマトを選んでる時もその一節を反芻していた。

小川糸さんの小説『キラキラ共和国』
『ツバキ文具店』の続刊で、鎌倉にある文具店で店主の「鳩子さん(ポッポちゃん)」は手紙の代書も請け負っていて、代書をお願いしにくるお客さんそれぞれのエピソードと、鎌倉での自身の生活や、先代店主の祖母との思い出などが、ちょっとほろ苦く織り混ざり、綴られている物語だ。

きっと読んだことがある方も多いだろう。
無理なく、ゆったりと楽しめる本だと思う。

その中のエピソードに、タカヒコ君という目が”ほとんど見えない”少年が、母の日にお母さんに手紙を贈りたい、と訪れてくる。

タカヒコ君の目は、太陽の明るさを感じることができて、礼儀正しくて、やさしい少年であることが、鳩子さんとのやりとりの描写からよくわかる。

そこで、鳩子さんがタカヒコ君の発言から”気づく”その一節、

”何も見えないということは、
すべてが見えている、とも言えるのかもしれない。”

特別なことではなく、サラッと書かれているのだが、私の心はたまらなくなってしまったことを思い出す。

今、改めて思う。
この気持ちをどう表現したら良いのだろう。

ああ、本当にそうだ。と、深く深く胸に染みていく感覚があった。
当時の年末、忘年会で今年一番の思い出は何?と問われた際、真っ先に思い出した位だ。共感…薄いかも、逡巡し、ヒヨって全然違うことを言ったけれど。

この深く染みていった一節が、どういう訳か、
ぷかりぷかりと浮き上がってくる。

似たようなシーンに出くわした訳でもなく、自分でもよく解らないでいる。同じような現象になったことがある人っていないかしら…。

と、一昨日、ここまでnoteに書いて、下書きにした。

そして本日、他の作業をしている時に、サブスクの音楽アプリのオススメアルバムをかけていると、THE BLUE HEARTSの『少年の詩』が流れてきた。

わぁ、ブルーハーツ。
ああ、ロッキンとかフェスがね、あるからね…と聴いていると、

”どうにもならないことなんて
どうにでもなっていいこと”

と、ぷかりぷかりしている一節とちょっと同様の?類のフレーズをまたサラッと歌われてしまったのだ。


ううん…。
天は我に何のヒントを与えようとしてくれているのだろう。


しばらくは、こういう感覚的な部分を、できるだけ澄まして生活しようかな、とちょっと背筋を伸ばす思いになった。


続くエピソードがあったら、また書かせてもらいます。



-20220811-





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?