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経営学における実践共同体の現在地①

先日機会をいただいて、関西学院大学さんが発行されている『産研論集』にレビュー論文を掲載頂きました。そのうちWEB公開されると思うのですが、一応「こんなの書きましたよー」と投稿したところ読みたいという方がたくさん連絡を下さり驚きました。自分が書いたものを発信していくって大事だなと思いました。

とは言え直接連絡くださる方は限られると思いますし、この論文で何がしたかったのか、少し自己解説しておこうと思います。なお、noteという事でゆるゆるフワフワのざっくり解説です。

実践共同体とはもともと何だったのか

実践共同体という概念が登場してからかれこれ30年以上が経ちました。この概念はもともと、学校教育のような場における知識の内化に対して、全く違う学習の在り方を提起する形で登場しました。つまり、人々は先生から何かを教わるのではなく、社会の枠組みの中で他者と関わり、そのプロセスの中で必然的に学びが起こっているという考え方です。ビジネスパーソンにはなじみの深いOJTが、もっとも身近な例と言えるでしょう。学校でモノの売り方は教えてくれません。しかし、そんなものが無くても一人前の営業マンは職場での相互作用を通じて育つのです。

実践共同体の非常に画期的なポイントは、このような社会的な枠組みでの学びは単にスキルアップや知識の増加をもたらすだけではなく、そのプロセスの中で学習者自身のアイデンティティを形成していくという事を強調したことでした。仮に学校で営業研修をやったとしても実際に売りに行くことはありませんが、現場での営業活動はお客様を相手にした本気の実践です。この過程で先輩から指導を受けたり同僚に相談したり、いろいろな工夫を経て商談を成功させたとき、その営業担当は大きな手ごたえと営業マンとしての自分を強く感じる事でしょう。実践を通じた学習は、このように当事者に強い自覚を与えるのです(一人で成し遂げるわけではないところがポイントです)。

また、実践共同体の学習形態は状況的学習と呼ばれました。これは、OJTのような社会的枠組みは社会の中にすでに存在し、学習者はそこに必然的に関わるようになっているからです。特定の職業であれ、町おこしの有志の会であれ、「○○をしたい、学びたい」と思った人々は社会的な状況としてそういった人々の集まりに否応なく関わっていくことになります。このように、人間が教育の為に場やカリキュラムを意図的にデザインすることが先にあるわけではなく、社会的な状況があり、そこに集まった人々が互いに実践を通じて学び合っているという現象を見出したのが実践共同体の議論なのです。

実践共同体原理派と実務適用主義派の終わりなき戦い

素朴には人類としての営み、そこで起こる学習の必然性にスポットライトを当てたという点で非常に説明力のある概念だったので、経営組織を対象とした研究も増えて行きます。そこでは、OJTよりもさらに自主的な従業員の関わり合いが着目され、従業員が自発的に学び、スキルアップしていく事に注目が集まりました。イノベーションの源泉であるとの期待も生まれました。これは今風にいえば、ITエンジニアの人たちがこぞって生成AIの良い実装方法を共有するような勉強会を想像してもらうと良いでしょう。業務命令ではないのに、そういった研究会や情報交換が自発的に行われていたのです。

これが認識され始めると、今度は「実践共同体を作れ」という話になりだします。しかし先に述べたように、状況的学習とは誰かが何かをデザインしてスタートするものではないのです。とある興味や関心、そして状況による必然性などを伴って、自然発生的に人々が結びつくというのがポイントだったわけです。会社の命令で「生成AIでなんか作れ!」と言われても困ってしまうのは、ご経験がある方も多いのではないでしょうか。これはただの業務指示であって自発的な人々の集まりとは言えません。

研究においてもこの問題は大きなトピックとなりました。強制的に作った人の集まりを、実践共同体と呼んで良いのか、という事です。

残念ながらこの点の議論は明確に決着することなく、組織の中で実践共同体が機能するためにはどんな要因が必要か、という実用的なマネジメント推進のための研究が多く発表されることになっていきます。そしてそれに対して、それは実践共同体の概念を安易に使っているだけだ、という批判が起こる…という事が繰り返されてきたのがこの30年でした。

どちらの言いたいこともよくわかる…

批判側の言いたいこともよくわかります。というのも、実用的な研究の多くが都合よくいろんなものを実践共同体扱いする(そしてさらに独自の名前まで付けて似たようなものが乱立する)中で、もともと重要だったはずの状況性やアイデンティティ形成の議論がどこかへ行ってしまったからです。一方で、実践共同体は自然発生的で社会的なものなのだから放っておくしかないという話になってしまうと、経営的に活かすのは実質的に不可能です。実用的な研究の結論は、それぞれを見れば有効そうに思える物も多数あり、組織論としてこれを位置づけることは本当にできないのかという思いもするわけです。

この深い溝は、本当に埋まらないのだろうか? そう思った私は直近10年の論文を片っ端から調べてみることにしました。

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