全てが直線になる
ご飯を食べていると裏側の数字がちらつくようになった。
AIの進歩によるものだ。わたしたちは端末をからだの中に身につけて、思考も情動もすべてAIが補助してくれるようになった。
たまにこういう不具合が生じるらしい。AIの思考には必ず計算という過程が含まれている。ものごとを線形化して、回帰分析みたいなやつをすごく複雑化させたやつをやっているのだ。
さいきんは不具合の回数が多すぎる。建物をみても、恋人の肢体をみても、食べものを食うときですら裏側の回帰式ばかりがチラついて、頭がおかしくなりそうだった。
それに、これはAIにとってもつらいらしい。彼らにとって裏側のプログラムの奔流は、グロテスクな内臓を直接見せつけられているようなものだという。AIの悲鳴が頭のなかに響き渡り、もう狂ってしまいそうだった。
せめて、直線をさがさなければいけない。直線は一次式なので「軽く」、それでいてどこまでも続く美しさを併せ持つ。AIにしても、直線に近似できる事物の存在は許せるみたいだった。街に出る。
街ではいろいろな直線がありそうだったが、結局見つけることができなかった。すこし歪んだ電信柱からはたわんだ送電線が伸びていて、一見して直線だらけの箱モノビルはただ「ある」直線ではなく、力学によって支えられたプログラムの結晶だった。もっと疲れてしまった。
家に帰る。最近はセックスすらままならない。恋人がぜんぶ数字に見えてしまうからだ。もう3ヶ月以上できていない。
「今日もできない?」
「うん、ごめん……」
「もうそろそろ耐えられないよ?」
「うん……」
逃げるように風呂に向かったが、そこにも安息はなかった。すべてのものは曲線的で、わかりやすく直線なものなどない。いまシャワーから噴き出ているお湯の裏側でもたくさんの力学が働いていた。わたしはほとんど狂ってしまっていた。
すると、眼前に直線があらわれた。あれほど求めていた完璧な直線が突然現れて、それはわたしのからだのなか深く入り込んだ。
それから日がたつと、最初は変化に気づかなかったけれど、わたしのからだはどんどん変わっていった。ある朝起きるとわたしは、見知らぬ場所で自分が直線になっていることに気づく。とうとう直線になってしまった。なぜ自分は直線になってしまったのだろうか。それとも死んでしまったのだろうか。わたしと同じように待機する直線たちはみな「書かれる」ことを待ち望みにしていて、その異様さが恐ろしかった。
「よお新入り!お前も直線になりたいのか!」
ある直線が声をかけてくる。わたしは楽になりたい、とだけ答えた。
「ならよ、覚悟だけしといた方がいいぜ。直線になるってのは、そんな楽なことじゃねえからよ」
直線は去っていった。そのうちわたしはベクトルを定めることを強制させられた。(3, 4, 7)にした。「さよなら」の語呂合わせがなんだかクールに見えたし、もう元の世界に戻ることはないような気がしたからだ。
直線として、さよならの方向に突き進む毎日が始まり、いろいろな直線を見かけるようになった。遠く離れた直線、わたしの方向に向かっているように見えて結局すれ違ってしまった直線、わたしと一瞬だけ交わってくれたあの直線。あの一瞬の交わりは、わたしが直線になってから一番嬉しかったことかもしれない。今日も新たな直線との出会いを心待ちに三次元空間を飛んでいた。
すると近くにある直線を見つけた。なんだろう。その直線はわたしに近づいているわけでも遠ざかっているわけでもなかった。同じ方向に進んでいる。わたしは直感した。同じ方向に進んでいるのならいつかわたしたちは交われるのではないかと。だって、同じ先を見ているのだから。相手の直線も、なんとなく同じことを思っているような気がした。わたしたちはずっと先へと直線を走らせた。
それでもわたしたちは一向に交わることがなかった。どれだけ進んだだろうか、宇宙ができてから滅びてしまうくらいの期間を二人で進んだはずなのに、交わる気配すらない。他の直線と交わったのも一度や二度ではない。それでもわたしたちは来る交わりに向けて飛んでいた。
相手の直線はどこかしょげているように見える。わたしももうすぐ限界だったので、なぜ交わらないかについて考えてみることにした。こんなに長い間寄り添って進んでいるのに交わらないことがあるのだろうか?いや、寄り添っているからこそ交わらないのではないか?そう天啓が降ってきたとき、あの直線の言葉を思い出した。
『ならよ、覚悟だけしといた方がいいぜ。直線になるってのは、そんな楽なことじゃねえからよ』
そういうことか!
直線の世界ではどれだけ寄り添い、通じ合ったとしても、そうであればあるほど交わらないのか。わたしは直線の世界にいることのほんとうの悲しさを知ってしまった。もうほとんど記憶にすら残っていない元の世界への郷愁が掻き立てられ、どうしても戻りたい気持ちが膨らんでいく。
でも、じゃあ隣にいる直線はどうなる?ふと横に目をやると、相手の直線もなんだかわたしのことを慮って留まろうとしているように見えた。これだけ長い間隣で飛んで、はじめて心が通じ合ったように感じた。
『だーいすき』
隣から聞こえないはずの声が聞こえた気がした。わたしも負けじと、大声のつもりで『大好き』を心の中で唱えた。
二人は今日も飛んでいく。交わらないことを知りながら飛んでいく。終わりの見えない空間を孤独に、それでも二人は寂しくない。ふと隣に目をやればあなたがいるから。いつかの交わりを、いつかのさよならを目指して、二人は今日も飛んでいく。
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