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「化物語」に学ぶ、おっぱいは誰のものかを真剣に考えると良い。


おっぱいは「赤ちゃんのもの」なのか、「男のもの」なのか、それとも「女性自身」のものなのか。

『乳房の文化論』より引用 乳房文化研究会編


近代マンガ史にはおっぱいが溢れている。

この傾向は青年誌にとどまることはなく、少年誌であっても同様に、紙面の至るところにおっぱいが溢れ出している。

特に少年誌では、小~中学生を対象とした「お色気」枠のマンガが尽きることがない。性的な関心を惹くことに特化したこの枠のマンガは、たとえ連載が終了しても、似たような作品が次々とゾンビのように登場する。

週刊少年マガジンに連載中の『恋か魔法かわからない!』も、このお色気ゾンビ枠マンガのひとつである。

宮前魅斗(かいと)は魔法が一切使えない!このままでは「偉大な魔法使いになる!」という幼なじみとの約束が…。夢を諦めかけていたその時、突如魅斗に魔力が宿る。しかし、それは目が合った相手を強制的に惚れさせる“ひと目惚れの魔法”だった!モテモテなのは嬉しいけれど、こんな魔法で大丈夫か!?

『恋か魔法かわからない!』Amazon概要欄より引用


隙きあらばラッキースケベをぶち込んでくるこのマンガは、思春期真っ盛りの男子に突き刺さるのだろう、公式Twitterのフォロワー数は5000人を超える人気ぶりである。

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(お手本のようなラッキースケベ:『恋か魔法かわからない!』より引用 内山敦司著)



マガジンはなんとなく20年ほど買い続けてしまっているので、『恋か魔法かわからない!』も2020年12月の連載開始から全て読んでいる。

ただし感想はない。面白いとかつまらないとかもない。無である。


本誌でこれを読んでいる時に「ページめくるの早すぎない?」と嫁さんに指摘されたことがあった。1話をどれくらいの速度で読んでいるのか気になったので、実際に計ってみた。

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25秒25…。

1話20頁なので、1頁あたり1秒25である。この才能をなにか別のことに活かせなかったのだろうか…。人生はいつだって上手く行かない。


しかし、この速さで読んでもおおよそのストーリーが理解できているあたり、ストーリーよりも大事なものがあるというメッセージを読み解くことが出来る。

そう、熾烈な週刊誌の連載枠争いを勝ち取れるような天賦の才を持つ作者が、更にストーリーなどの大事な因子を全て投げ出して、ようやく得られたのが、『恋か魔法かわからない!』のおっぱいなのだ。

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(方法はわからないが強制的に成長したんだ…!:『HUNTER×HUNTER』より引用 冨樫義博著)


公式Twitterをフォローしているような熱烈なファンは、作中に登場する命を圧縮することでしか得られないおっぱいを、毎週の楽しみとしているのだろう。


ただ繰り返しになるが、私には今のところ全く響く要素のないマンガとなってしまっている。単純にターゲット層が違うということもあるのだろうが、作中におっぱいが登場すればするほど、むしろ心が冷めていく。

無なのだ。

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(無のおっぱい:『恋か魔法かわからない!』より引用 内山敦司著)


勘違いして欲しくないが、全てのマンガに登場するおっぱいを無と思うわけではない。「おっ!このおっぱいはいいぞ!」という作品も数多くある。今回紹介する『化物語』もそのうちのひとつである。

『化物語』と『恋か魔法かわからない!』、これらに登場するおっぱいは一体何が違うのだろうか。


三編みメガネ委員長、あとおっぱい

マンガ版『化物語』は、原作 西尾維新・作画 大暮維人という超豪華タッグによって作成されている。

高校3年生の阿良々木暦は春休みにとんでもない『事件』に巻き込まれて以来、人とは少しだけ異なった部分があった。『事件』を通じて親しくなったクラス委員長の羽川翼と共に文化祭の準備をしていた5月のある日、ひょんなことから2年間ろくに会話すらしたことがない病弱なクラスメイト戦場ヶ原ひたぎの秘密を知る。

『化物語』Wikipediaより引用


5部構成の小説「<物語>シリーズ」より順次展開されており、2020年3月現在、「ひたぎクラブ」「まよいマイマイ」「するがモンキー」「なでこスネイク」に続く、「こよみヴァンプ」編が連載中だ。


余談だが私はマンガで『化物語』を知ったので、マンガより先の展開を全然知らない。だが、原作が超人気小説であること、アニメ化などメディアミックスが活発であったこと、初出から15年が経過していることなどより、世の中にネタバレが溢れている。これはとても危険な状態で、迂闊に感想を語れなく苦しい。


兎にも角にも、先の展開を全く知らないので、新鮮な気持ちでマンガ版『化物語』を楽しんでいる。若い頃は苦手だった西尾維新独特の言葉遊びや、一捻りある設定も今はスンナリ受け入れることができた。

とりわけ、本誌にて連載中の「こよみヴァンプ」編が良い。というか、羽川翼が良い。

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(三編みメガネ委員長こと羽川翼:『化物語』より引用 大暮維人著)


羽川翼は『化物語』におけるサブヒロインであるが、「こよみヴァンプ』編では正ヒロインの戦場ヶ原ひたぎが登場していないので、とても良いポジションで描かれている。

とりわけ主人公・阿良々木暦との絡みがエモい。「人間強度が下がるから」という建前の理由で人との接触を拒んできた暦に、グイグイ関係を作りに来る一方、その理由が明かされない。単に性格が良いのか、それとも違う理由があるのか。

マンガ版『化物語』では、翼が怪異に巻き込まれる「つばさキャット」編に至っていないため、彼女を構成する背景を知るすべがなく、ミステリアスに描かれているところも魅力のひとつと捉えている。


あとおっぱいが大きい。

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(おおきい:『化物語』より引用 大暮維人著)


おわかりだろうか。本題に入る前にうっかり1600文字もかけて『恋か魔法かわからない!』のおっぱいが無という主張をしてしまったが、羽川翼のおっぱいは無ではない。有のおっぱいである。


どちらが「有か無かわからない!」という読者は、落ち着いて2つのおっぱいを見比べて見て欲しい。まぁ単に作画の差なんじゃないかという気もするが、説明出来ない違いがあるように感じられるはずだ。

いい年した大人が自らの考えを言語化出来ないことは問題である。なんとかこの違いを説明するために、いまこそ、世界におけるおっぱいの歴史を紐解く必要があるのではないだろうか。


母性としてのおっぱい

ヒトはおっぱいというワードから何を想像するだろうか。性的な側面からのみ見られがちだが、授乳行為に代表される母性の象徴という側面を忘れてはならない。マリリン・ヤーロム著『乳房論』では、以下のように述べられている。

これら神聖性と性的な要素は、乳房の異なるふたつの魅力を表している。授乳せよという指令と、性的興味をくすぐれという指令が争って、女性の運命を織り続けてきた。

『乳房論』より引用 マリリン・ヤーロム著


19世紀末に殺菌された家畜の乳から安全に栄養を得られると分かるまで、新生児にとって母乳に変わる食品はなかった。

生命を紡ぐため、母乳に頼らなければならない時代が長く続き、人々は母乳がよく出るように、胸の豊かな偶像に祈りを捧げていた。例えば、エフィソス(現在のトルコ)で発掘された「美しきアルテミス像」は、乳房を20個以上持っている。

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(数の暴力:『アルテミス神殿』Wikipedia より引用)


よく見ると乳房だけではなく、体には蜂・雄牛・ライオン・花・葡萄などで覆われている。1回で色々なお願いが出来てお得だなぁ…と感じられる。紀元前の偶像は、理解を超えるものが多い。


生きるため母乳を生み出す乳房は必要不可欠なものであり、それゆえ信仰の対象となった。信仰は時間とともに徐々に解釈を変え、母乳のために捧げた祈りは、救いを求めるための祈りと変化した。

おそらく歴史上、最も信仰された乳房の持ち主は、聖母マリアであろう。

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(聖母マリア:『大公の聖母』Wikipediaより引用 ラファエロ・サンツィオ画)


イエス・キリストの母であるマリアの乳は、奇跡を生み出す液体と信仰された。しかし、その論理展開は現代の感覚ではなかなかついていけない。

1. 聖母マリアは処女である(処女受胎より)
2. 処女なので肉体の罪に汚されていない
3. よって処女の乳は清い

言いたいことは分かるが、正直声を大にして言えない主張である。「処女の乳は清いんだよ!」と言ってくる奴とは、友達にならないほうが良い。(Tips!)


殆どの病気を治すと伝えられた彼女の乳は、それを入れたとされるガラス瓶ですら聖遺物として、多くの修道院や教会に保管されていた。

14世紀に聖遺物の調査を行っていたプロテスタントのカルヴァンは、聖遺物として保管されていた膨大な量のガラス瓶を見て、下記のようなシニカルな意見を残している。

聖なる処女は雌牛よりも多くの乳を出したのだろうか。それとも死ぬまで生涯に渡って乳を出し続けたのだろうか。そうでなければ、とても展示されているだけの量の乳は賄えないに違いない。

『乳房論』より引用 マリリン・ヤーロム著



美術史においても、マリアの乳は様々な描かれ方をする。なかでも強烈な印象を与える…いや違う、言葉を選ばずに言うならばドン引きする絵画は、アロンソ・カーノ著、『聖ベルナルドゥスと聖母』である。

聖ベルナルドゥスはシトー会修道院を設立した12世紀の神学者です。彼がある日、聖堂で聖母マリアの彫像を前に「あなたの母たることをお示しください」と祈りを捧げていると、彫像が動いて乳を聖人の唇に滴らせた、と伝えられます。

『美術展ナビ』作品紹介15 <聖ベルナルドゥスと聖母>アロンソ・カーノより引用

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(セクシービーム:『聖ベルナルドゥスと聖母』アロンソ・カーノ画 © Museo Nacional del Prado)


ツッコミどころが多すぎて、一般人には処理しきれない。

口うるさい聖職者に問答無用で乳を噴射するマリア、弧を描く母乳、ピンポイントに口に入る精度、お前銅像だったん違うんかい、手前のおっさんリアクション困ってるやん、などなど。

しかもこの「遠距離噴射されたマリアの乳をお口でキャッチ!」の構図、13世紀以降、様々なバリエーションで描かれている。13世紀にSNSがなくてよかったと思わずにはいられない。

それとも13世紀の人たちは皆、千鳥のノブくらい的確なツッコミが出来たのだろうか。


このようにマリアの乳房は、よく乳が出るように、病気が治るように、悩める聖職者を救うために、信仰の対象となった。彼女の乳房は彼女のものではなく、悩める人を包み込む慈愛の象徴として、多くの人のものとなった。


性的なおっぱい

『恋か魔法かわからない!』に登場するおっぱいは、マリアような慈愛の象徴としては描かれていない。あくまで小~中学生に向けた性的なアイコンとして作中に登場する。

聖なる母性の象徴であった乳房を、性的な歓びを表す乳房へとイメージを移行させた絵画がある。『聖母子』は14世紀フランス、シャルル7世の愛妾であるアニエス・ソレルをモチーフにしており、その乳房はとても肉感的だ。

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(時代の変わり目:『アニェス・ソレル』Wikipediaより引用 『天使たちに囲まれた聖母子』 ジャン・フーケ画)


アニエスが絵画のようにいつも片方のおっぱいをさらけ出していたかは定かではないが、彼女はそのずば抜けた容姿と性的な乳房を武器に、国王の寵愛を一心に受けることが出来た。

また当時の宮廷内では、胸元の大きく開いたドレスがバズり始め、女性たちは自らの魅力を主張することが出来るようになった。性的な乳房の魅力に気づき始めたのだ。


しかし、キリスト教会はこの流れを良しとしなかった。生命を紡ぐ神聖な乳房が、性的に利用されることを嫌ったのだ。名だたる知識人達が「おっぱいを隠せ」と大真面目に主張し、胴着の開口部を「地獄の門」と称した。

この時代の「地獄に落ちろ!」には、男女のお誘い的な別の意味があったかもしれない。

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(地獄門の先には!おっぱいがあるッ!!:『地獄の門』Wikipediaより引用 ダンテ・アリギエーリ作)



さて、ここまで読んで頂いたおっぱいマニアの中には、『聖母子』の乳房が異常に離れていることに気づいた方もいるだろう。当時の美的基準として、小さく、白く、りんごのように丸く、そして左右両極端に離れているものが良いおっぱいとされた。

上流階級の女性に最も求められた役割は、子供を生む家柄を残すということであり、授乳中の性行為を控えるべきと信じられていた当時は、子供を乳母に預けることが主流であった。夫との性行為が子育てに優先されたのだ。

このような時代背景から、よく母乳の出る大きな乳房は下層階級の象徴であり、上流階級では小ぶりな乳房が好まれた。巨乳が市民権を得るのは、まだ先の話である。


開放の象徴であるおっぱい

ここまで母性としてのおっぱいと性的なおっぱいについて紹介してきたが、この2つの視点に共通することは、おっぱいを持つ女性自身ではない第三者が、その価値や在り方を定め主張してきたということだ。


聖母マリアの乳房から生まれる乳は、その処女性から神秘の力があると主張され、子であるキリストを育てる以外の用途を強要されてきた。14世紀、女性たちが性的な乳房の価値に気づき始めたこの時代も、上流階級と下層階級の違いを示すために、結局はその在り方が定められていた。

どちらのケースもおっぱいの持ち主が、その権利を行使できていないのだ。


『恋か魔法かわからない!』に登場するおっぱいも同様である。性的興味を惹くことに特化し、ラッキースケベが頻発する本作では、おっぱいの持ち主のことは一切考慮されていない。意志が感じられない無のおっぱいである。


ところが『化物語』の羽川翼は違う。

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(羽川翼の凄さ:『化物語』より引用 大暮維人著)

怪異の王、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード(長い)との対決を前に、「キスショットの巨乳に動揺して負けるかもしれないから、その前におっぱい揉ませて」という主人公の無茶苦茶な要求に対し、戸惑う翼。

聖母マリアの時代から脈々と受け繋がれた呪縛に準ずれば、「世界を救うためになし崩し的に触らせてしまう」という行為をしてしまったかもしれない。


しかし羽川翼は違う。

「よし分かった触れ」「服の上からでなく直接触れ」「触るなら30秒以上は触れ」「手加減無用ッ」とまくし立てるのだ。

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(呪縛からの開放:『化物語』より引用 大暮維人著)

これはおっぱいの持ち主である翼の権利行使だ。自分のおっぱいを触るならと意志を持って条件を述べる翼からは、自らの意思で触らせるという選択をしたのだ。

そこには旧時代の男性に代表される第三者に価値や在り方を決められてしまっていたおっぱいの姿はない。彼女は呪縛から開放されたのだ。

強い意思の感じられる、まさに有のおっぱいといえる。


まとめ

記事中で紹介してきたような時代とは異なり、近代は基本的人権の尊重が法によって与えられている。

1874年、世間が思い描く理想の体に歪めさせるコルセットに反発する公演がボストンにて開かれた。アバ・グールド・ウールソンが本公演にて主張した存在論は、100年後のフェミニズム運動の出発点となった。

私は妻として、母として、教師として存在しているのではありません。自分のために存在する権利を持って、何よりもまず、女性として存在しているのです

『乳房論』より引用 マリリン・ヤーロム著


マンガや絵画においても、おっぱいはその持ち主の意思が反映されていないような描かれ方をすることが多い。作者の性的、またはサディスティックな衝動の発散に使われてしまっては、その存在や権利を否定していることと捉えかねられない。

おっぱいの持ち主は女性であり、その意思によって権利が行使されてしかるべきなのだ。


これからマンガを読む際にも、全読者は「このおっぱいは誰のものか?」ということを自問自答して欲しい。宇崎ちゃん相手に不毛に炎上するよりは、より本質的な視点に立ち戻ることが出来ると思う。


という話しを6500文字ほど書いた私が、ふと冷静になった時の気持ちを一言付け加えて、終わりたいと思う。



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(これ絵の話しなんよ:『相席食堂』より引用 朝日放送テレビ)


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』

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