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人間関係は、無意識の淘汰

年を重ねるほど、周囲は類友で固められていく。
似たもの同士ということでもない。けれど、価値観のさまざまが近い。例えば、モラル、距離感、時間や金銭感覚。許容範囲や優先事項などなどである。

20代の頃は、それはもう広く浅く多くの友人がいた私は、アホかと思うほど友だち付き合いに忙しく、誰とも合わない休日などなかった。

30代に入り、とある友人たちの嫌がらせをきっかけに交友関係の断捨離をした。
無駄に入ったLINEの連絡先を片っ端から削除し、SNSを解除した。自分から気を遣って連絡をするのをやめ、気が向かなければ予定を作ってでも会うことを避け、距離を置いた。

40代を目前に、世はコロナが大流行。本当に会いたい人にだけ会うという選択が非難されないという、私にはとても生きやすい時代になった。
新たな出会いは稀にあれども、今や会う友人は頻度も含めてほぼ決まっている。

40代に入り、改めて周りを見渡せば、大事な友人とはコンスタントに連絡をとり、会っている。気を遣うのは仕事と接待だけでいい、と割り切れるようになった自分がいる。以前に比べ、誘うよりも誘われる側に落ち着いた。

もちろん、自分からだけでなく相手から離れていった経験もある。
気を遣わない関係や信頼を築くまでには、時に言いたいことを言い合って、気まずくなったり時間や距離を置いたり。
そういうことを積み重ね、繰り返しながら今の人間関係が残った。

行いや言動も込みで互いに受け止め合い、心地が良いと思える友人は生きていく上で最強の支えになる。そして最高の味方でもある。迷惑をかけたり、かけられたり。そうして淘汰されてきた友人たちは、私にとって今や大切なタカラモノでしかない。

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