あめとさけ。

アラフォーおひとりさま、会社員。なんでもなさそうで、ありそう、あるある。を、あつめた日…

あめとさけ。

アラフォーおひとりさま、会社員。なんでもなさそうで、ありそう、あるある。を、あつめた日々のこと。

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あめとさけ。 のこと

アカウント名にしている「あめとさけ。」 これは単純に私が、なかなかな高確率の雨女であり、お酒が好きというところに由来する。ひねりのなさに今更ハッとするが、思えばSNSのアカウント名は毎度そんな適当さだ。 生まれは訛りが強めの地方都市、田舎育ち。次女。 両親は健在、小さな怪我はあれども幸い大病もせずに夫婦マイペースに日々を暮らしてくれている。 姉夫婦は欧州在住。トリリンガルの意味もわかっていない野生児の姪がひとり。両家初孫のため、アホというほど皆でバカになっている。弟は同じ

    • ぬるい時間、母からの贈りもの

      過日、1年ぶりに母と再会した。 閃いたかのように家を訪ねてきてくれ、毎日ご飯を作っては一緒に食べてくれた。だらだらと話をしたり、スーパーへいったり、散歩もしたりと4日間。 ゆらり、ぬるい時間を共に過ごした。 起きれば「おはよう」、帰ってくれば「おかえり」と言ってくれる。 そういった今や自然じゃなくなったことが、再び目の前であたかも当然かのように繰り返されるだけで気持ちがホッとした。 両親が健康でいてくれて成し得るものなのだと、感謝が込み上げた。 翌週、母が去った後は何を

      • 歪なくらいが、家族のバランス

        5月も半ば、母から届いた母の日メール。 「日帰りでもいいので、会いに行こうと思っています」の一文。 3月後半から休職しているアラフォーおひとりさま、母の日も忘れていた娘に突如きた連絡。1年近く会っていなかったこともあり、そろそろ帰省すべきなのかを悩んでいたが、どうにも怠さから移動距離に勝てずにいた。 北関東とはいえ、実家はほぼ山奥。田舎育ち+インドアな母には都会の電車の乗り換えはハードルどころか、壁である。 それでも、ひとり会いに行こうと決意してくれたことが嬉しかった。

        • すきなもの、その3

          今回は、その3として以下の好きなものを紹介したいと思う。 ゆらぎ 「余白」とも言える「ゆらぎ」。20代までは比較的、服も派手め。ごちゃごちゃと物を並べた古着屋の一角にある雑貨コーナーのような部屋。言葉もデザインも情報量多めが好きだった。 だが、いつの頃からか空間も持つものも引き算をするのが好きになった。 今では余白やゆらぎがないと落ち着かない性分。 いまだにその分岐点がどこにあったのかはわからない。 静寂 音のない時間と空間。 ラジオや音楽を聴きながら作業をするのも

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          人間関係、2つの不滅 『-ing』

          「3つの -ingじゃないの?」と思った方は多いだろう。 たしかに恋愛における『タイミング(timing)』『フィーリング(feeling)』『ハプニング(happening)』は有名。ただ、正直この年齢にもなると、膝にも心臓にも悪いので、ハプニングはできれば避けたいのが本音である….。 話は逸れたが今回タイトルにあげた、2つの不滅『-ing』とは。 それは人生において、「恋愛<友達」になりつつある40過ぎ、おひとりさまの今だからこそ改めて思うのかもしれない。 それは….

          人間関係、2つの不滅 『-ing』

          美味しいは、なによりの正義?

          「正義」という言葉が苦手だ。 正しいという意味や尺度は、人によって異なるからだ。 立場や環境、時代も変われば意味合いや含まれる要素も変わる。 だからといって、失くなってほしいということではない。 正義という言葉ありきで保たれているものは、多々ある。 ただ昨今、正論や正義によってならば、人を傷つけても良いといったようなどこか歪んだ感覚や極端な風潮が増えてからは、正直使うのは極力避けたい言葉になってしまった。 それにともなって「正義感が強いね」は、私にとって褒め言葉などでは

          美味しいは、なによりの正義?

          恵みよりも、なぐさめの雨

          雨女の私。ちょっと散歩に外に出ようとした瞬間に雨が降る。 近所のスーパーに買い物に出ようとしたなら雨が降る。 さっきまで降っていなかったのに….ということは、ざらだ。 月2の通院も2回に1回は、雨。 日がな一日降るわけではなくても、見事に雨雲をヒットするのだ。 今回の診察で、追加2ヶ月の休職を診断された。 怠さで日の2/3は寝て過ごしていた4月後半。 ただただ時間ばかりが流れていくような気がしていたところで応えたのか、雨水を吸った靴のせいか、いつもよりも重い足取りで家路

          恵みよりも、なぐさめの雨

          憧れの?海外生活、 NZ編 その2

          31歳になる歳にNZへ入国してからの1ヶ月。 学生後の働き口=住み込みのベビーシッター業(オーペア)の受け入れ先を必死で探すべく、宿題と情報収集に追われた。カルチャーショックやホームシックをしみじみと味わう時間などなかったように思う。 学校を経由した割高なオーペア紹介サポートオプションを付けたからには使わない手はなかったので、英語ビギナーの私は必須とされるPRレポートと格闘し、放課後に先生をつかまえては添削してもらう日々を繰り返した。 正直書いた内容はさっぱり覚えていない、

          憧れの?海外生活、 NZ編 その2

          できそうで、できないを救うもの

          そんな境目をうろうろして、塞ぎ込んでいたこの頃。 休職中の私に届いた会社からの1通のメール。 近況と復職に向けて今後の予定を尋ねる内容だった。 事務手続きの必要があるため、やむを得ない連絡なのは理解の上だったが、それが思った以上に心身に応えたのだ。 主治医曰く、鬱を患う人は大抵の場合、会社からの連絡で症状が悪くなるとのことだった。今回は個人的にもタイミングが悪く、動揺も手伝って悪化したのだ。 休職予定は2ヶ月。仕事のことを無意識に考えてしまうトンネルをようやく抜け出せた

          できそうで、できないを救うもの

          よそはよそ、わたしはわたし

          それを脳みそだけじゃなく心身まるっと、全身で納得するまでにはだいぶ時間がかかった。頭でわかるのは「理解」、心でわかるのは「納得」という持論の後者だ。 自己肯定感はどちらかというと12歳くらいまでは高めだった。 お遊戯会は主役、学級委員、児童会から生徒会まで、今思うと誰?である。 10代後半にカメラを始め、素朴な日々を記録し始めたこと。 上京して才能という世界の厳しさを思い知ったこと。 社会に揉まれていくうちに、現在の自己肯定感低めの私に至る。 ただ、自己肯定感は高くなく

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          現実を漫画の世界にした、元彼

          前回、同じマンションの斜め下に越してきた元彼とのその後。 朝起きて窓を開けてベランダにでると、出勤前の日課中の元カレがビックスクーターにちょこんとすわりタバコを吸いながら、ほぼ開いていない目で「おはよう」と見上げる。 「おはよう〜。天気が良すぎて仕事行くのが勿体無いよねぇ〜」 「そうだね〜。俺、明後日から出張で大阪だわぁ〜」 なんて会話が続き、しばし会話なく朝の光でぼんやりする。 仕事から帰ってくれば、ベランダで夜風にあたりながらタバコを吸っている元彼が「おかえり〜。出

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          小さな箱を出入りする日々

          昔そんなふうに思ったことがある。 毎日同じルーティンで馬車馬のように働いていた頃だ。 高校に入学して埋もれゆく自分の存在がちっぽけに思えたこと。 東京に来て、あまりの人の多さに頭痛がしたこと。 海外に出た時、初めてアイデンティティが何なのかを理解できたこと。 人に影響を与えられるような大きな存在になりたいと思ったことは、正直ない。 それでも「自分の居場所をみつけること=人に認められること、信頼されること」というのはずっと意識して生きてきた。 その道のりは地味だが、大人に

          小さな箱を出入りする日々

          心にも柔軟剤を

          日々、人それぞれ家事や労働、育児などやることで溢れている。 やる「べき」ことの強制ではないはずなのに、いつの間にか物事に追われて気がつくと疲労困憊、得た分なのか思っている以上に消耗している気もする。 たとえ、自ずと望んだ道であれ、人間には理性や欲望といった葛藤が伴うので、そうもまぁ頭に描いたように、夢にみたようにスマートには生きられない。 ご多分に漏れず、自身もそのループで時々迷子になることがある。 「いっそ無になりたい」と願うこともあるが、日々は待たずともやってくるので

          心にも柔軟剤を

          ある日、斜め下の階に越してきた元彼

          以前、以下記事で触れた7年弱お付き合いした人のスピンオフエピソードについて。これは、タイトルの時点で引いている人がいるかもしれないが、怖い話とかではなく個人的にはいい思い出なので書こうと思う。 すれ違い続けた4度目の婚期。 「30過ぎてもお互いにひとりだったら、結婚するんだったよね?結婚しない?」「しないよ」のその後は、さすが10年越えの関係だけあり、特に気まずさは残らず、いち友人としてポツポツと交流は続いた。 そんなある日、引っ越しを考えているという彼の物件探しに付き合

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          憧れの?海外生活、 NZ編 その1

          私はちょうど31歳になる年から2年、ワーキングホリデーという名の「ギリホリ(ギリギリの年齢でワーキングホリデーに行くという意味)」に挑んだ経験がある。ニュージーランド(NZ)とオーストラリア(AUS)、各国1年。 周りには、それこそ学生や20代の子がゴロゴロ。日本では、何となくまだ31歳?!の感覚から、すっかりおばさん、または姉貴枠に昇格だか降格した私に日本からきた若者たちは容赦なく「知ってますか?ギリホリっていうんですよ。そのくらいの年齢でワーホリ来る人」と現地入り後に、

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          愛と情は隣人であり、紙一重

          愛しさの重さと、手間や世話を焼いた時間の重さは紙一重だと思っている。そもそも愛しさや愛情がなければ、世話を焼くことすらもできないのかもしれないが。 そこに存在していたのは、確かに愛だったのか、それともただの情だったのか。 自身の愛情が相手から離れていく時に、そんなことを冷静に振り返ったりする。 自分の中で気持ちが少しずつ冷めていく時の感覚は、引き潮に波が遠のき、浅く渇いていくような感じに近い。 40年足らずで一番厄介だと思うのは「好きでも、嫌いでもない」という感情だ。それ

          愛と情は隣人であり、紙一重