同棲がしんどい

他人と一緒に住むことがこんなにもしんどいことだとは思わなかった。

大前提として、私は一人で楽しく生きることがすこぶる得意な人間だと思う。自分の機嫌を自分で取れ、意見を言うことに関して苦を感じない。

てっきり私はこの先の人生、一人で何も考えず、今を楽しんで生きてける人になると思っていた。ところがそれはただの私の空想に過ぎなかったのである。

紆余曲折というかさまざまな事情があり、パートナーとあれよあれよという間に二人暮らしが決まったのだ。アラサー会社員、人生で初めて実家を出てまだ数年しか経っていないが、再び誰かと暮らすということを生活にしていくようになるのだ。

そこからまだ一緒に住んで数か月しか経っていないが、既に自分の一人暮らし時代が輝かしく私の思い出が頭をよぎっていく。自由で、誰にも邪魔されずに好きなことが出来る私の城はもうない。

考えが合わない


きっと、一緒に暮らしていく上でよくあがる問題だろう。
コミュニケーションなり、円滑に日常を進めるための気遣い、かける言葉、相手を思いやる場面が増えるのが生活を共にする際の宿命というものであると思うが、え?そこの気遣いはないの?みたいな違いがやたらと多い。多いというか、一緒に住むことで浮き彫りになる気がしている。

そもそも同じ人間なんて一人もいないとか言われると元も子もないし、他人に期待をしてはいけないと言われるかもしれない。
でも、さまざまな場面でほんのちょっと気を遣えばいいものを、何故やってくれないのか?と思ってしまう。

例えば、予定があった時に夜遅くならないようにちょっと早く帰ってくるとか、遅くなった時に寝てる相手がいるなら気を付けるとか、そのちょっとの行動をすれば別に何とも思わないのに。何も多くは求めてないと思っているはずだけなのにと思ってしまう。

権利主張と思いやり


ありがたいことに、家事の分担なりお金の負担率については特に異存はない。私の方が出社する回数も多いが、出来る範囲で自分の家事を全うできるように努めるべきだと思って実行している。そういう部分は上手く回っているのかもしれない。ただ、生活する上でどこかしらでは考えが合わない部分がある。

例えばこうしてほしいという私の希望に対して、「そうか、それは気づかなかったからごめん、次から気を付けるね」の約30文字を言ってもらえれば済むし、そう言われたら申し訳なくて私も譲歩できることは無いか探せると思う。

現実はそうはいかない。甘くないのだ。
私が何か改善してほしい所を述べ、それが自分の意見と異なる場合は「俺はこう思う」から始まる長い長いご意見を貰うことになってしまう。ああ、またダメな何かを踏み抜いてしまった。ここから学級裁判のような長い話が始まってしまう。

いや違う、日付が変わって何時間もたって帰ってくることに対して申し訳ないという気持ちを少し持つだけでいいんだよと思うが、そんなことを分かっていてくれるのであれば大きな苦労はないのだと思う。
これはこれで私の権利主張になるのかなと、どんどん負のスパイラルに陥ってくる。

昨今の世の中、ジェンダーを分けて判断することにも批判が起きそうだが、もう、まんまこれである。
根本的な解決よりも、ちょっと何か気持ちに沿ってくれたら充分な気がする。俯瞰してんの私はそう判断しているのだ。あの30文字さえあれば1時間も話さなくていいんだよなあ。

帰りたくなったよ


そんなこんなで数か月生活をしているが、ついに実家に帰りたくなって号泣してしまった。久々にこんな泣いたなあ、という位ボロボロと。

夜、一人ベッドの上で、実家に戻るなり一人暮らしに戻りたいと切に願ってしまった。
どれだけ気楽な生活だったか、どれだけ私が一人向きの人間だったか。でもそんな簡単にはい終わりと言うほど私も子供ではない。ちゃんと現実を前にして自分の考えをコントロール&アップデートせねばならんのだ。

一言でまとめると、他人と一緒に住むことがこんなにもしんどいことだとは思わなかった。

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