2024/02/14

週末、久しぶりに人が多く集まるところに遊びに行ったら出会った人に「あ、Twitterの人ですね」と言われた。
俺はあまり外に出ないしTwitter、もといインターネットで変なことばかり言っているので言わば"インターネットの中の人"みたいな認識なのもよく分かる。この表現が嫌ってわけじゃ全然なくてむしろ相手も好意的だったのでありがたい限りなのだが、このインターネット活動により人間の一面のみが強く可視化される状況はその当人の生活を限りなく薄くさせるもので、良く言えばアイドル化、悪く言えば人間性の無視というものに繋がりやすいなと思った。

めちゃくちゃネタバレしますが『推しの子』の漫画は現在最終章を迎えており、アイの死の真相を描いた映画編なのだがそこで無敵のアイドルのアイも人に嫌われたら泣いてたんだよ!という描写があり無敵のアイドルも皆んなと同じ感情を持った人の子であるという特別性と普遍性の関わりがフィーチャーされている。

これは少しだけ特別性、変人と言い換えてもいいがそういうものを持った人間で世との関わりが薄い人間というのはどうしてもインターネットでその表現をする傾向にあり、俺はTwitterで下ネタを言うこと、別の人だと絵を描くこと、歌うこと、配信をすること、身体を晒すことなど。現実社会に混ざる情熱や人脈、相手に合わせる器用さを持ち合わせない人間にとっての最初の居場所はインターネットになりやすく、つまりネットでちょっと有名な人はその変人性だけが強く可視化され「そのネット活動の人」になってしまう。なので、誰が悪いと言ったら俺が悪い話なので別に気にしなくて全然良いのだが、もしかしたら俺と同じような人でアイと同じように泣いてる人もいるのかもなと思ってしまった。

確かに俺も変な人扱いされる事が多いが、結構普通で夜寂しくなったらナイモンとか結構見ちゃうし、道端のビニール袋を猫と見間違えるし、SEXの予定がある前日も我慢できなくてオナニーしちゃうし、部屋汚い癖にベッドは潔癖だし、「〇〇しか勝たん」って表現少し嫌いだし、やんわり注意されただけで怒られたと凹んじゃうし、サービスエリアで「サービスエリアで働く人ってどうやって通勤してんだろう」って言っちゃうし、自分の赤ちゃんとか全然想像できないし、ストレートの長い通路でBGMがなくなるとボス前だな…って思う。

全然普通です。俺もみんなも全然普通。そしてインターネットの向こうには普通の人しかいない。時には本当に変な人がいるからこの世の疾走感が失われないのだけど、とりあえずそういうのには目を瞑っておくとして全てのTwitterアカウントの向こうには人間がいると意識するのが肝要である。
しかし飲尿プレイをする人、これだけは普通ではないので気をつけて欲しい。飲尿プレイがあるというだけで俺と世界が断絶している一つの要因になっている。飲尿プレイ好きな人がいたらごめんなさい。俺はあなたと闘う他ないのだ。

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