2023/11/08

veroに俺のなりすましがいるらしく、しかし俺のなりすましへの態度と言ったら少し嬉しい、全然俺の名前なんて使っちゃってもいいですよそれにより生ずる不都合、不利益はとりあえずは俺が被ります、どうしようもなくなったら全てなりすましが悪いことにしますといった程度のもので晒すことも注意することもしなかったので長いこと俺のなりすましがveroに君臨している訳だが、これが中々親しい友人(veroはフォロワーにも段階があり一番の「親しい友人」に設定されるとエロいやつが見える)が増えていないらしく、観測している俺からしても拍子抜け、これはこのなりすましの努力が足りないのか俺のネームバリューがカスであるのか。

完全に動いていない訳ではなくフォロワーの多少の微増、又は知り合いから「お前からveroの申請来たぞ。無視してやりました。」という報告はちらちらと聞くのでそれなりに活動的ではあるのだろうから、こうなるとこのなりすましが美味しい思いが出来ていないのは完全に俺のせいということになる。確かに俺はTwitterの数字だけで見ればそれなりの人気者ゾーさんゾーさんとなる訳だが、やはり人を数字だけで見るからこうなるのだという戒めの念が湧いてくる。自らを売り出したい者にとってフォロワーが多いことは悪いことではないが、フォロワーなんて言いつつも1人の人間であるのだからそれら1人1人が自分の脳の中を体の外側をしっかりと睨め付けこちらを品定めされている状態であることは忘れてはならない。つまるところフォロワーの数とはその増えた経緯が大事なのである。

その中でも俺という存在はかなり変であって、変であっても単にTwitterで下ネタを言っているだけなのだが、Twitterと下ネタとゲイというこの組み合わせの妙によって数字だけは膨れ上がり、数字だけで見れば現実であらゆる場所、時間に手を伸ばし知り合いを増やす、又はその相貌や肉体の魅力によってファンを獲得していく人間と同じ境地に立ってしまっているのである。彼らと違うところは彼らが現実に根ざしているのに対し俺は現実との関わりが希薄だからいざギブアンドテイクのveroという戦場に立たされると俺の味方は本当に少ないということ。おもち…?誰ですか?ここはユーモアではなくちんぽを見せ合う場所です。なんて状態なのだから俺のなりすましがちんぽを見せてもらえる訳などないのだ。何故俺はなりすましをされた上にこんな悲しい事実に気づかなければいけないのか。悲しみは常に他者によってもたらされる。だからこそ他者と関わりの少ない道を歩いてきたのにそれによってまた俺は悲しみに立たされている。奇妙な状況だ。

みなさんが現実で他人のちんぽを触っている時間に俺は春の思い出を触り夏の日差しを触り秋の夜を触り冬の嬉しさを触り部屋で自分のちんぽを触っているのだからこうなることは明白であるのだが、しかし俺は俺で自分の立ち位置を気に入っている節もあり俺ってかなりチルい存在じゃないですか?自分で言うなんて最悪ですが皆さんが言わないから俺が言いますが、こんな日記を飽きもせずにつらつらと書いてネットに投稿しているなんてかなりチルいですよ。自分で言ってしまったのでもう全て無しになってしまいました。では、失礼します。

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