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浮かれてたいんだよほんとは

自分のポジティブを嘲笑してしまった。
よくない。ほんとうによくないことだ。

きっかけは、ちょっと節約うまくやれてるな、というだけのこと。ちょっと嬉しくなったんだけど、即座に、なに浮かれてんのって言ってくる自分が現れた。例えばそういうささいなこと。ごはんがおいしいとか、心の落ち着く場所を見つけたとか、人と前より親しくなれた気がするとか、そういうささいなことを嬉しく思うこと。が、連鎖的に笑われてしまった。

そんなことを他でもない僕自身が。えっどうせそのうちひっくり返るのにいちいち何を喜んでるの?って。中二病かよ。俯瞰して非難して悦に入ってるのか。今同じことをしている俺はなんなんだ。とも思うけど、日常を明るく生きようとする精神まで侮辱するなよ。

そこまで性根曲がってるのかってちょっとぞっとしたよ。こんな一面が自分の中にって。でも当然自分の一部だし、その言い分もわかるんだよな。要は、期待をしないってスタンスが、卑屈な方に向いて歩いていってしまったってことだと思う。嫌なことは予測できてたらダメージ少ないよね。でも想定内だしって思えるもんね。嬉しいことが悲しいことに反転したらその差の分だけ悲しさは増すよね。そんなの避けたいよね。待ってるのは悪い結果なのに、無邪気に喜んじゃって、見ていてどうしようもなく悲しい気持ちになってしまうこと、あるよ、わかる。

悲しかったんだよな。僕は。うん。どうしようもなく悲しかった。別に未来なんか見えてないけどさ。なんというか嫌な経験則からさ。と言うより良くない思い出と結びついちゃって。急に。勝手に。このささいな喜びが、いつか否定されるんじゃないかって。舞い上がった分、はたき落されたとき痛いだろうなって。ふとそこにたどりついちゃって、急いで冷まそうとしたんでしょ。浮かれた熱を。守ろうとしただけなんだよね。きっと。僕のこと。

希死念慮の類なんかも、たいていは、少なくとも僕の中では、自己防衛の一種と捉えている。許容できない自分の行いや状態を、自分が糾弾することでバランスをとっている感覚。それでもって一線を越えないように保っている感覚。今回のもその一種だと思う。普段からそんなんばっかだし、そう思えば慣れっこっちゃあ慣れっこか。

でもね、やっぱ発現のしかたは問題だよ。なんでそんな陰湿で意地の悪い出力がされちゃったかな。矛先が他人に向かなかったのが幸いだったほんとに。たぶんもっといいやり方はきっとあるよなあ。喝入れるとか、諭すとか?わかんないけど、僕自身もっと探っていかなきゃいけないけど、今日のは痛かったよ。ちゃんと傷ついた。



途中からかなり自己との対話みたいになってしまった。うまく話せてるかは僕にもわからないけど。やっぱり暗いんだな。暗いからこそ、なのかなんなのか、明るさには憧れちゃうんだ。ささいなことでにこにこしたい。嬉しいことを素直に喜びたい。簡単なことって思うかもしれないけど。今日のはさすがに意地の悪さにびっくりしたけど。


ほんっっとじめじめ!せめていつかのカラッとした空でも掲げときます!


明日は晴れるかな




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