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梅雨時の憂鬱

この世を去ろうとしている人を見ると、やはり気が重い。

今日の梅雨空のように、しっとりと人生の重さを感じるからか。


その人は、私の父の妹の嫁ぎ先の夫の兄弟の連れ合い。

ここまでになると縁者といっても「姪」と名乗っていいのかわからない。


移住するまでこの人がいることさえ知らなかった。

おそらく私の両親だって知らなかっただろう。


この人が嫁いだ男性が亡くなった際、

足腰もしっかりしており、身体的・精神的にも病んだところはないまま、

未亡人となってすぐ老人養護施設に入居させられた。


本人がこの措置をどう思ったかは、誰にもわからない。

目が悪いらしく夕暮れになると物が見えないようだったと従弟は言った。

この人についてのすべてのことが誰にもわからないのだ。


今日、病院で初めて会った「叔母」は痩せこけていた。

もう少しで95歳になる女性。

しかし、この年齢も確かなものではない。


戸籍上は昭和天皇の即位大礼式が行われた年に誕生、とした。

夏季オリンピックが行われたうるう年。

大相撲のラジオ放送が開始され、「君恋し」という曲が流行っていたころ。


障害を持って生まれたこの人は、その誕生を周りに伏せられた。

戸籍を作らず、ゆえに学校にも通わせられることなく、

誰にも知られず、家事の手伝いをして育った。


年頃になり、同じ障害をもつ叔父と結婚することになったことで、

初めて戸籍をつくったという。


実家から厄介払いができたように扱われたのを不憫に思った祖父が、

二人のために祖父の土地に小さな家を建てて住まわせた。

夫婦となった二人がどのように意思疎通をはかり、

暮らしていたのか誰も知らない。二人の間に子供はいない。

祖父たちと一緒に農業を手伝いながら生きていた。


誰の声も聞こえず、誰とも話すことができず、

学校に通えなかったために、手話も読み書きもできない。

音のない世界で、目もよく見えずに歩んだ人生。


身振り手振りで、栄養ドリンクを飲みたいと訴える人の、

ささやかな願いさえも、もう私には叶えてあげることができない。


その人の若いころの写真が1枚だけあった。

美しく穏やかな雰囲気の女性が、上品に微笑んで写っている。

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