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妖怪「ジブンニシカ」:自分じゃなくてもいいことから、自分にしかできないところまでの道のりは

「自分にしかできないことをやりたいんですけど……」

自分よりもずっと若い人と話をしていると、そういった言葉をときどき耳にする。「〜ですけど」と言うだけあって、現状は「自分にしかできないことをやれてない」という不満不服が込められているわけだけど、むしろ「自分にしかできないこと」を20代前後ですでにできていたらすごい!あっぱれ!じゃないか。

その不満不服は、99%の人が経験する通過儀礼なんじゃないかなぁと思う。学生(アルバイト)〜新社会人の頃、ぼくも多分に漏れず「自分にしか」に悶々としていた。「なんで、誰でもできそうな仕事ばかりやらされるんだろう」と。

でも、そのうち気づかされることになる。いわゆる仕事ができる人は、誰でもできる仕事を処理するのが格段と早いことを。バーにおける仕込み、営業におけるDMの仕分けなど、(今ならロボットでもできる)単純作業といえば単純作業なのだが、正確かつ素早く終わらせてしまう先輩たちは、カクテルが格段と美味しかったし、営業成績も抜群に良かった。

そういった先輩たちと一緒に「だれでも」仕事をしていると、後輩のぼくがつまらなそうにちんたら手を進めている様子を見てか、「どうやったら早く終わらせられるか考えながらやってる?」と優しく声をかけてくれた。そこで自分が思考停止して「ただ処理する(この時間に耐える)」という姿勢で取り組んでいたことを突かれ、恥ずかしくなった。

先輩たちもスタートは一緒だったんだ。いきなり「自分じゃなきゃ」仕事をやっていたわけではない。この人だから出せる味も、この人だから商品を買いたくなるも、「自分以外のだれがやっても同じ」というところから出発している。

ただ違ったのは、どんな些細な仕事であっても、その進め方で「より正確に、より素早く」といった工夫を試みる。出来上がった「結果」は同じでも、「過程」が違う。結果でなく過程で、ちゃんと脳トレをしている。その「姿勢」が上司やお客さんから買われて、「あいつに、他のことも任せてみようかな」と積み上げていく。そうやって、周りから見た「あの人だからできる役割」を確立していったんじゃないかなあ。

業種は微妙に違うけど、「『あなたに会いたい』『あなたがつくったカクテルを飲みたい』と思われるバーテンダーになりなさい」そして「その商品を買いたいじゃなく、『あなたが扱ってる商品を買いたい』と思われる営業マンになるんだよ」ともらった言葉は今でも深く刻み込まている。

干支3周目の36歳になる年になったけど、未だに「自分にしかできない仕事」があるとは思えない。本当に見つかるのだろうか…..とすら不安に駆られていたりもする(会社/組織のことは、考えれば考えるほど、「その人じゃなきゃ」という属人性に頼すぎると、特に人材が少ない地方だと、持続可能性がないとも強く感じるようになったのもあるし)。

ちなみに、バーテンダーにとって「オリジナルのカクテルをつくる」が一つの目標としたときに突きつけられる「オリジナル」は大きな問いになる。世界には名付けられたカクテルだけでも3000以上も数があると言われる。

そんななか、まずは「既にあるもの」を調べることから始まる。そこから、「なぜ、そのカクテルが生まれたのか」「なぜ、この素材を使うのか」「なぜ、この酒じゃないとダメなのか」「だれが、だれのためにつくったのか」などストーリーがあることを知る。

つまり、そういった文脈もすべて引き受けたうえでの「オリジナル」になる。「新しい組み合わせで混ぜてみました〜」の表面的なものは「オリジナル」からは程遠く、諸先輩がたは自分からあまり口にしないのが「オリジナル」だったかのように記憶している。

そして、カクテルについていえば、「自分にしか」生めなかった「オリジナル」だとしても、どこぞで切り取られるレシピになってしまう(逆にいえば、レシピだからこそ後世にも伝わる。音楽でいえば、楽譜を残すことになり、その楽譜を弾きこなせるかどうかが問われてくる)。

だらだらと書いてしまったが、何が言いたいかを一言にします。

「自分にしか、は超むずいよ!」

ってこと。そこに辿りつくまでに時間もかかるし、表面的なものはすぐに脆さがバレる。「自分じゃなくても」から始まって「自分にしか」に向かっていく。だから、「自分じゃなくてもいいことはやらない(すぐに辞める)」というのは、じつは遠回りなんじゃないか!ってこと。

「自分にしか」に辿りついてる超人なんか一握りだと思うんだ。もう職人領域というか。それだけ絶対量を技術と思考に費やしてきてるんだから、そりゃそうだわと思う。すぐに辿りつけるという見積もりは甘いんじゃないか。

いや、甘いというのもちょっと酷ではあるか。「あなたにしかできないことはなんですか?」と突きつけられる社会なんだろうね。今は、特に。就活でも転職でも「自分にしか」という扱える武器がないと戦っていけないどころか、そもそも生き残れない。思ったるしい圧というか、そうじゃないけない空気が充満してるような気もする。

「ジブンニシカ」

鹿のかたちをしたモノノケに、多くの人間が、憑かれちゃってるのかもなぁあ。こいつに憑かれると、「自分にしかできないこと」を見つけられていないと不安に駆られ、そわそわして仕方がない。場合によっては、自己否定に走ってしまう。妖怪「いそがし」の親戚にあたりそうなやつだ。

一番厄介なのは、憑かれてる人は、憑かれてることにはたいてい気づかない。憑かれてるよ、と伝えても、否定から始まっちゃうこと。事実は変わらなくても、世の中で起きている物事に対する解釈は変えることができる。

ジブンニシカという怪しい存在を見つめること。そして、付き合い方を考えてみようかなという姿勢にならなきゃ、きっとその憑き者は落ちることはない。

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