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書くか喋るか

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TENG(テン)の活動で考えたこと/感じたことを、書くか喋るかで記録してきます。
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記事一覧

rec.15「本と移住の話」

2024.05.31「二拠点の黄金比率(変動するけどね)」「『なぜ働いてると本が読めなくなるのか』で提案する"半身"と地域(拠点)」「本を読みたいから移住するのってどう?」

rec.14「二拠点(芸人と矢印)の話」

2024.05.29「言葉のリアリティ」「マキタスポーツ(山梨)、サンキュータツオ(山形)」「TOWA TEI(軽井沢)」「都会と地方のどちらから仕掛けるか」*訂正(高橋ひろゆき→高橋ゆきひろ/幸宏)

「転がり力」をもって、地域を「ただよう」こと

鳥取に拠点を移してから、いつの間にか7年目に入っていて、「定着」したという感覚はないが、まわりから見れば「定着」してるのだろう。 といっても、5年目まではほぼ鳥取で、6年目は東京と2拠点をし、7年目はたまに行くくらいの1.5拠点のくらいで、今いる地域に「関わることはやめなるつもりないけど、その距離感はいろいろと実験している」。 ちなみに、来年からはまた2拠点に戻る予定だが、これまでと違って、東京比重を上げるつもりだ。まあこれも実験の一つではるけど、そのためにも今あるプロジ

「一人」と「みんな」、二足の草鞋を履いてみるすゝめ

大学受験、そしてフリーランスとして執筆や企画の仕事など、ずっと独学でどうにかやってきた経緯もあり、基本は「まず自分一人でやってみる」といいう姿勢をとるようにはしている。 けど、独学だけではどうしようもないこともある。いや、というよりも、そもそも「どうしようもない」と自覚できないことすらある。こいつが怖い。若いときであれば、それなりに指摘してくれる周りの大人がいるけど、まあまあ年を取ってくると"粗"の部分は言われなくなってしまう。 ぼく自身、一人の限界を何度も感じてきた。

ままならぬリソグラフ

今日は、ひさびさに午前中には起きていた。「リソグラフ」の研修があったからだ。 6年ほど運営に関わる拠点「なわほ」は、いろんな「つくる」を学び、体験できる"ネオ公民館"を謳うようにしている。蒸留器や3Dプリンタ、レーザーカッター、木工旋盤などさまざまな「つくる」に対応し、ちょっとしたメーカースペースのようにゆるく稼働している。 そういった「①つくる場所と道具がない!」に合わせるだけでなく、「②つくり方がわからない!」に対応できるようにとはじめたのが「なわのがっこう」だ。「地

ビジネスモデル崇拝で「仕事する」とか「お金を稼ぐ」とか

イヤイヤながらでも仕事をしていると「ビジネスモデル」という言葉に出くわす。 のことを指すらしいが、社会人になって15年が経った今でもあまりピンと来ない。そもそも「モデル」という言葉に重きを置ことする姿勢があまり好きになれない。 物事は、真似から入って、学びに変え、身につけ自分のものにしていく。そのためには手本・見本となる「モデル」は大事なのだろうけど、「そのモデルをなぞらってさえいれば、もうすべて大丈夫です」といった論調をこの頃は感じる。ネット広告で甘いささやきのように流

横ならびで、思考畑を耕してゆく

引き続き、「なぜ勉強するのか」について。 その根っこを考えてみる。その「なぜ」がわかったとて、どうなんだろう。わかったら、「ああなるほど、意味ありそう/なさそうだから、勉強する/しない」と二択から選ぶのだろうか。 小中高大そして社会人、どのタイミングであっても究極の一択を選べるわけがない。そもそも判断基準すら自分がわかってないのだから。その基準をつかめるほどに、学びが足りていない。汚れたぞうきんで床をふいても、汚れはとれない。 わからないから学んでみる。わからないから学

まなんだら、百目になれる

「なんで勉強するの?」のつづき。一つの物事に対する視点が増える。そして解釈も変わり、思いやれるようになる。ここをもうちょい加筆したい。 国語数学英語と”分野”を分けたがるけど細かくみれば有機的なつながりがある。遠くの国の戦争が日本で暮らすわれわれの光熱費を上げるように。 分野は、入口の問題でしかない。たとえば、「まちづくり」という分野について、真正面の「地域」学から入ることもできれば、少しズラして「教育」「経済」「建築」「法律」などの入口からでも辿りつける。 どの観点か

見えると、やさしくなれる

ときどき出くわす中学生と「なんで勉強するの?」という話になった。自分が中学生のときはどうだっただろう。 昔からずーーっと「頭でっかち」だと自覚している。どんなことも「なんでそれやるの?」と腑に落ちなければなかなか手を出そうとしない頑固者でもあった。そして、さきの疑問に同じくぶち当たった。 一人で考えてみても要領を得ず、いろんな教科の先生に聞いてみる。けど、「受験で」とか偏差値主義のトンチンカンな返答しかもらえず、?を抱えて続けた。高校、大学になってもそれは続いた。 今だ

体験まるごと「買う」わけなので

ひさびさにポケモンカードのパックを開封した。5枚の中にどんなカードが入ってるか、未知にドキドキする感覚は、小学生のとき以来じゃないの。 今日、運営拠点の定期イベントがあった。だれでも出店/チャレンジ企画ができる日だ。その一つに、子どもが企画したポケモンカード大会があった。 優勝賞品がカードだったのと、サブカルを扱う新店舗でも置きたい商品だったのもあり、その仕入れを担当させてもらった。 大会が終わると、賞品&商品として在庫が減り、持ち帰った残りをまとめて開封してみることに

企画はできるけど運営できない、が、未来を潰してる。

そんな話を、先日、立て続けに1日で2回もしてしまった(たのしかったなぁ)。それぞれ行政に頼ることなく、独自で鳥取県内でしっかり積み上げる取り組みをしている方たちだった。 そう、課題(的なもの)を見つけて、ビジネスモデルというか他地域事例をもとに机上の空論で組まれた企画を練るところまではそりゃできるでしょうよ。 一番大事なのは、その企画をちゃんと運営しきること。特に(ハードでもソフトでも)拠点をつくる企画こそ、そこで「何をするか」でなく「誰がするか」に重きを置いて、運営して

「若者のすべて?」をさぐりたい、本のあるスローな場づくり「fab box」

本のあるコンビニ「ホンビニ」をめざしたくて。 昨日と今日は、それぞれ半日くらい、4月から開けられるようにお店の準備をしていた。ホンビニをつくる。ちなみに、このホンビニとう概念は、長崎の戸田屋書店を参考にさせてもらった。 あくまで参考なので、運用形態は違ったものになる(地域性も立地も違うので、当然といえば当然か)。「本のある」は、「本を買える」だけでなく「本を借りられる」といった私設図書館としての機能を持たせるつもりだ。すでに家に「i book room」という読書室を開い

「書く」に導かれた「場をつくる」

ちょっと一本だけふり返らせてぇ、ください。 20代中盤、フリーランスとしては、webライターとして自分の仕事づくりをはじめることになった。最初はがっつり「SNSマーケティング」を軸にリサーチし書いてものが、いつしか扱うテーマが「まちづくり」「移住」「小商い」へと変わっていき、全国各地を周らせてもらうようになった。 同時に、観察者として側から眺めているだけじゃ意味ないと感じ、実践者として関われないかと「場づくり」に加わるようになった。いわゆる地域で開いた場(拠点)をどのよう

rec.13「田舎と車の話」

2024.02.20「車がなくても田舎で暮らせているわけ」「7年目、どうにかなってる」「ないと暮らせないは、思い込み」「外に出るのは、散髪か業務スーパー」「学生やお年寄りと似た立場だから関われてるプロジェクト」「車がない、という弱さ」