病める時も 不安な時も - 迷いだらけの妻•母 修行は続くよどこまでも

最後にノートに投稿してから、もうどのくらい経ってしまったのだろう。2年半前に、今の職場で勤め始めてから、あっという間に日々が過ぎていく。

高校生だった娘も卒業し、去年の秋にバンクーバーの大学で音楽を勉強するため、巣立っていった。娘はしっかり者で、社交的だし、いつも賑やかに騒いだりお茶目に私達を笑わせ、楽しませてくれていたから、娘のいない生活が、私達家族にとってたまらなく寂しかった。

4年前に多発性骨髄腫の診断を受け、今も治療を受けている夫は、娘というチアリーダーの存在が欠けてしまって、その寂しさを言葉に出せない分、イライラしたり元気がなかった。

息子は、頼りがいのある、第二の母のように慕っていたお姉ちゃんが、1000キロも離れた街に引っ越してしまい、寂しがって泣いた。

幸い、この時代はビデオ通話というもので、距離が離れていても通信さえできれば、会いたい家族の顔を見ながら会話する事が可能だ。

お陰で、たまにお互いの都合が合うときは、ビデオ通話もできるし、忙しくてもテキストメッセージを送ったりはしている。

それでも、私の中では、すっぽりと穴の空いたような虚無感ができてしまったことに変わりはなかった。おしゃべり好きな娘とはとにかくいろんな話をしていたし、夫が発病してからは、お互いに励まし合い助け合いながら、それぞれ仕事やバイト、勉強や家事、介護をこなしてきた。

だから、娘が巣立っていくことは、私達にとって大きなロスであり、私達自身がそれぞれ子離れや、精神的自立をしなければならない転機だったのだ。

そもそも私自身が、20歳の時にカナダに留学して、翌年出会ったカナダ人の夫とその何年後かに結婚し、カナダに移住したのだ。大きく羽ばたこうとしている娘を応援してやりたかった。

そして初めて、自分の両親が経験したであろう辛さを実感した。夫がどう感じているかは不明だが、この身に宿した子が成長して離れていくというのは、いわれも得ぬ喪失感で、胸の真ん中に風がヒューヒューと吹いているような寒々しさを覚えた。

私は5年前に、弟をくも膜下出血で亡くしている。そして夫が血液ガンにかかった。娘が巣立ったからといって、これ以上落ち込んでなどいられない。ここで息子と一緒になってわんわん泣いていたら、もう這い上がってこられない。そう考えて、私が娘の代わりにチアリーダーにならなければ、誰かが笑っていなければ、と自分に言い聞かせる事にした。

いわば、精神的なサバイバルだ。夫や息子が落ち込んでいる時に共感しないわけではない。ただ自分がそこに入り込んでしまったら、誰が彼らを引っ張りあげるのだろう。私が塞ぎ込んでいるわけにはいかない。

私は微笑みながら闘う事にした。

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