『生成AIとエピステモロジー』執筆日記:研究書を生成AIをアシスタントに書いてみる(2)

さてせっかくGPTstoreに『論文工房』を読み込ませて論文指導出来るようにしたのに文章生成中にシステム落ちまくりなので、プロンプトエンジニアリングをしてClaudeに論文指導できるようにひとつずつやってみた。

修士論文でも博士論文でも、なにをしたいのか?を考えなくてはいけない。まあ、じつは学生が何か書いてくればそれでいい。それから指導は始まる。最初の最初はオリジナリティであり、つぎはなにを論じたいのかのトピックである。しかしこうしたお題をだすと書けなくなってしまうので、好きに書いてきて、みたいなことを言って、最初の文章を入手する。前回示したのは著者が書いたもので、まあ論文執筆の経験があるので、適当にかいてもまあまあのメモ書きは出来るので、それをClaudeで清書してもらったら、とてもできがよかった、というところまでである。

今回はその原稿にオリジナリティとトピックを与える練習となる。ChatGPTstoreが安定しないので、個別にプロンプトエンジニアリングを書いていった。ClaudeもOpenAIのLLMだと思うが、まあこのあたりの知識はたっぷりと持っている。それをClaudeが確認すればそれにしたがって添削が行われていく。

奥出(のプロンプトエンジニアリング):


これは論文のドラフトです。オリジナリティとトピックの視点から添削して書き直してください。そのときに添削した箇所が分かるように添削!という言葉を挿入してください。添削が終わったときには添削終了!を挿入お願いします。

Claude:

序章 科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。コンピューターの発明と人工知能の急速な発達は、知識の本性をめぐる根源的な問いを私たちに突きつけている。とりわけ、大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。膨大なテキストデータから学習した生成モデルが、自然言語を自在に操り、あたかも人間のように振る舞うとき、私たちは改めて知とは何か、真理や合理性とは何かを問わずにはいられない。 本研究は、こうした生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代のエピステーメの輪郭を描き出すことを目的とする。その際、イアン・ハッキングの「科学的知識の歴史的存在論」の視座を援用しつつ、技術と知のダイナミックな相互規定性に光を当てる。科学と知識論の系譜を批判的に振り返ることを通じて、生成AIという新たな技術的展開がもたらす認識論的・存在論的な問いを炙り出したい。 まずは近代科学の形成期に遡り、ニュートン力学の確立と、それを基軸とする「ニュートン的エピステーメ」の成立過程を検討する。数学的記述による厳密な因果的決定論、経験的知識の重視、方法論的還元主義、理性中心主義など、ニュートン主義の認識論的前提が、広く社会の知的地平を規定するに至った経緯を跡づける。それと同時に、ヒュームに代表される経験論哲学が、ニュートン的世界観の基盤に挑戦し、知識の確実性への懐疑を突きつけた潮流にも目を向ける。ニュートン主義とヒューム的懐疑主義の緊張関係が、科学知識の哲学をめぐる近代の問題圏を切り拓いた様を描き出す。 次いで、19世紀以降の科学の専門分化と制度化の進展を踏まえつつ、知をめぐる二つの大きな変革、すなわち20世紀初頭の量子力学の勃興と、第二次大戦後のサイバネティクスと情報科学の胎動を、認識論の変容と関連づけて論じる。因果的決定論の揺らぎと確率的思考の台頭、情報的世界観の広がりとその哲学的含意など、古典的な「ニュートン的エピステーメ」を問い直す諸相を浮き彫りにする。あわせて、原子物理学者たちを中心に広がった科学と倫理の相克への反省が、知識生産のあり方そのものを問う契機となった点にも注目する。 こうした科学と知識論の通時的考察を踏まえて、情報技術とりわけ人工知能の発達を知の変容という文脈に位置づけ直し、生成AIの登場を問題化する。パターン認識と統計的相関操作に基づくAIによる「知」は、論理的推論や因果的説明とは異質の「知」のあり方を示唆するものであり、旧来の認識論的前提に再考を迫るものでもある。人間的知性の所産と見紛うばかりのテキストを生成するAIは、創造性やオリジナリティとは何か、知の責任主体とは誰かをめぐる根源的な問いを私たちに投げかける。生成物の真偽や信頼性、生成プロセスの不透明さといった技術的・倫理的諸課題の考察を通じて、ポスト人工知能時代の知のあり方を展望する。 本研究は、科学史・科学哲学の知見に学びつつ、生成AIの最前線の動向を批判的に吟味し、新たな知識論・認識論の構築を試みる。「計算する機械」がますます自律的に振る舞い、人間の知的営為に関与するようになる中で、私たちは知のあり方そのものを問い直さざるを得ない。機械と人間の協働がもたらす「拡張された知性」の可能性と、そこに孕まれるリスクを見定めつつ、生成AI時代のエピステーメの輪郭を描くことが急務なのだ。既存の認識論的枠組みを相対化し、知の担い手としての人間の主体性を新たな地平で捉え直すこと。それは現代に生きる私たちに突きつけられた知的実践の、そして倫理的想像力の試金石である。
添削!序章 科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。コンピューターの発明と人工知能の急速な発達は、知識の本性をめぐる根源的な問いを私たちに突きつけている。とりわけ、大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。膨大なテキストデータから学習した生成モデルが、自然言語を自在に操り、あたかも人間のように振る舞うとき、私たちは改めて知とは何か、真理や合理性とは何かを問わずにはいられない。
本研究は、こうした生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代の知のあり方を探究することを目的とする。添削!その際、イアン・ハッキングの「科学的知識の歴史的存在論」の視座を援用しつつ、技術と知のダイナミックな相互規定性に光を当てる。科学と知識論の系譜を批判的に振り返ることを通じて、生成AIという新たな技術的展開がもたらす認識論的・存在論的な問いを浮き彫りにする。
まずは近代科学の形成期に遡り、ニュートン力学の確立と、それを基軸とする「ニュートン的パラダイム」の成立過程を検討する。数学的記述による厳密な因果的決定論、経験的知識の重視、方法論的還元主義、理性中心主義など、ニュートン主義の認識論的前提が、広く社会の知的地平を規定するに至った経緯を跡づける。それと同時に、ヒュームに代表される経験論哲学が、ニュートン的世界観の基盤に挑戦し、知識の確実性への懐疑を突きつけた潮流にも目を向ける。ニュートン主義とヒューム的懐疑主義の緊張関係が、科学知識の哲学をめぐる近代の問題圏を切り拓いた様を描き出す。
次いで、19世紀以降の科学の専門分化と制度化の進展を踏まえつつ、知をめぐる二つの大きな変革、すなわち20世紀初頭の量子力学の勃興と、第二次大戦後のサイバネティクスと情報科学の胎動を、認識論の変容と関連づけて論じる。因果的決定論の揺らぎと確率的思考の台頭、情報的世界観の広がりとその哲学的含意など、古典的な「ニュートン的パラダイム」を問い直す諸相を浮き彫りにする。あわせて、原子物理学者たちを中心に広がった科学と倫理の相克への反省が、知識生産のあり方そのものを問う契機となった点にも注目する。
こうした科学と知識論の通時的考察を踏まえて、情報技術とりわけ人工知能の発達を知の変容という文脈に位置づけ直し、生成AIの登場を問題化する。添削!パターン認識と統計的相関操作に基づくAIによる「知」は、論理的推論や因果的説明とは異質の「知」のあり方を示唆するものであり、旧来の認識論的前提に再考を迫るものでもある。人間的知性の所産と見紛うばかりのテキストを生成するAIは、創造性やオリジナリティとは何か、知の責任主体とは誰かをめぐる根源的な問いを私たちに投げかける。生成物の真偽や信頼性、生成プロセスの不透明さといった技術的・倫理的諸課題の考察を通じて、ポスト人工知能時代の知のあり方を展望する。
さらに本研究では、生成AIと人間の知的営為の関係性について、新たな観点から考察を加える。添削!生成AIは人間の知的活動を代替するのではなく、むしろ人間との協働によって新しい知の可能性を切り拓く存在として捉え直すことができるのではないか。機械と人間の共進化とも言うべきこの過程は、「拡張された知性」とでも呼ぶべき新たな知のあり方を示唆している。人間の想像力や直観と、AIの膨大な情報処理能力や発見的思考とが融合することで、これまでにない知の地平が拓かれる可能性がある。同時に、こうした人間-機械の協働がはらむリスクについても慎重に見極める必要がある。機械への過度な依存が人間の主体性を脅かしかねないからだ。生成AIの利点を生かしつつ、知の営みにおける人間の能動的関与をいかに担保するか。それは技術の設計思想にも関わる重要な課題である。
本研究は、科学史・科学哲学の知見に学びつつ、生成AIの最前線の動向を批判的に吟味し、新たな知識論・認識論の構築を試みる。「計算する機械」がますます自律的に振る舞い、人間の知的営為に関与するようになる中で、私たちは知のあり方そのものを問い直さざるを得ない。機械と人間の協働がもたらす「拡張された知性」の可能性と、そこに孕まれるリスクを見定めつつ、生成AI時代の知のあり方を展望することが急務なのだ。既存の認識論的枠組みを相対化し、知の担い手としての人間の主体性を新たな地平で捉え直すこと。それは現代に生きる私たちに突きつけられた知的実践の、そして倫理的想像力の試金石である。添削終了!

奥出:


この添削の中でトッピックセンテンスはなにになりますか?

Claude:

この添削では、以下の文章がトピックセンテンスとして機能していると考えられます。
「本研究は、こうした生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代の知のあり方を探究することを目的とする。」
この文章は、生成AIがもたらす認識論的な問題を、科学と知識論の歴史的文脈に位置づけながら検討し、AI時代の知のあり方を探究するという、本研究の主要な目的と方向性を明示しています。それに続く文章は、この目的を達成するための具体的なアプローチや考察の観点を提示しており、全体の論旨を導く中心的な役割を果たしていると言えます。

奥出:


本研究は、こうした生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代の知のあり方を探究することを目的とする。と書きましたが、具体的な目的はなにになるでしょうか?

Claude:

この文章から読み取れる本研究の具体的な目的は以下の2点にまとめられます。

  1. 生成AIがもたらす認識論的問題の考察

    • 生成AIの登場によって生じる、知識や真理、合理性をめぐる根本的な問いを明らかにする。

    • これらの問題を、科学と知識論の歴史的な展開を踏まえて検討し、より広い文脈で捉え直す。

  2. ポスト人工知能時代の知のあり方の探究

    • 生成AIという新たな技術的展開を受けて、既存の認識論的枠組みを相対化し、知のあり方そのものを問い直す。

    • 人間とAIの協働がもたらす「拡張された知性」の可能性と、そこに内在するリスクを見極める。

    • 機械と人間の共進化とも言うべき過程の中で、知の担い手としての人間の主体性を新たに位置づける。

これらを通じて、本研究は生成AI時代における知識論・認識論の新たな地平を切り拓こうとしていると言えます。AIの発達によって知のあり方が根本的に問い直される中で、人間の知的営為の意味や可能性を再定義することが、本研究の究極的な目的だと読み取れます。

奥出:

なるほど。この文章にアインシュタインとオッペンハイマーが原爆を発明した物理学を学ぶことで手が血に染まる、という認識と、哲学者コジェーブが量子力学的思考を理解して、ヘーゲルの思想と結びつけ、地球は破壊するという危機感から哲学者をやめて官僚としてECをつくり核兵器戦争への抵抗を試みた、という歴史を含んで見たい。この方向で書き直せますか?

Claude:


添削!序章 科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。コンピューターの発明と人工知能の急速な発達は、知識の本性をめぐる根源的な問いを私たちに突きつけている。とりわけ、大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。膨大なテキストデータから学習した生成モデルが、自然言語を自在に操り、あたかも人間のように振る舞うとき、私たちは改めて知とは何か、真理や合理性とは何かを問わずにはいられない。
本研究は、こうした生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代の知のあり方を探究することを目的とする。その際、科学知識の発展が時に破滅的な結果をもたらしうることを、20世紀の歴史が示している点に留意したい。アインシュタインとオッペンハイマーが原子物理学の知見を応用して原爆開発に関与し、「科学者の手が血に染まる」事態を招いたことは、科学と倫理の相克を象徴する出来事であった。添削!また、哲学者コジェーブは量子力学の確率的世界観をヘーゲル哲学と結びつけ、核戦争による地球の破滅を予見した。そして哲学を離れ、欧州統合の実現に尽力することで、核の脅威に政治的に抗おうとした。科学知識がもたらす両義的な影響力と、知識人の社会的責任の問題は、生成AIを論じる上でも看過できない論点である。
まずは近代科学の形成期に遡り、ニュートン力学の確立と、それを基軸とする「ニュートン的パラダイム」の成立過程を検討する。数学的記述による厳密な因果的決定論、経験的知識の重視、方法論的還元主義、理性中心主義など、ニュートン主義の認識論的前提が、広く社会の知的地平を規定するに至った経緯を跡づける。それと同時に、ヒュームに代表される経験論哲学が、ニュートン的世界観の基盤に挑戦し、知識の確実性への懐疑を突きつけた潮流にも目を向ける。ニュートン主義とヒューム的懐疑主義の緊張関係が、科学知識の哲学をめぐる近代の問題圏を切り拓いた様を描き出す。
次いで、19世紀以降の科学の専門分化と制度化の進展を踏まえつつ、知をめぐる二つの大きな変革、すなわち20世紀初頭の量子力学の勃興と、第二次大戦後のサイバネティクスと情報科学の胎動を、認識論の変容と関連づけて論じる。因果的決定論の揺らぎと確率的思考の台頭、情報的世界観の広がりとその哲学的含意など、古典的な「ニュートン的パラダイム」を問い直す諸相を浮き彫りにする。原子物理学の発展が原爆の悲劇を招いた事実、そしてコジェーブが量子力学的世界観から地球の破滅を予見した経緯は、科学知識の社会的影響力と、知識人の倫理的責任という問題系の重要性を示唆している。添削!
こうした科学と知識論の通時的考察を踏まえて、情報技術とりわけ人工知能の発達を知の変容という文脈に位置づけ直し、生成AIの登場を問題化する。パターン認識と統計的相関操作に基づくAIによる「知」は、論理的推論や因果的説明とは異質の「知」のあり方を示唆するものであり、旧来の認識論的前提に再考を迫るものでもある。人間的知性の所産と見紛うばかりのテキストを生成するAIは、創造性やオリジナリティとは何か、知の責任主体とは誰かをめぐる根源的な問いを私たちに投げかける。添削!同時に、生成AIの予測不可能性と自律性の高まりは、原子力技術がもたらしたリスクを想起させずにはいられない。AIがもたらす知の非対称性と不透明性は、科学者の社会的責任という20世紀的な問題系を新たな形で提起しているのだ。生成物の真偽や信頼性、生成プロセスの不透明さといった技術的・倫理的諸課題の考察を通じて、ポスト人工知能時代の知のあり方を展望する。
さらに本研究では、生成AIと人間の知的営為の関係性について、新たな観点から考察を加える。生成AIは人間の知的活動を代替するのではなく、むしろ人間との協働によって新しい知の可能性を切り拓く存在として捉え直すことができるのではないか。機械と人間の共進化とも言うべきこの過程は、「拡張された知性」とでも呼ぶべき新たな知のあり方を示唆している。人間の想像力や直観と、AIの膨大な情報処理能力や発見的思考とが融合することで、これまでにない知の地平が拓かれる可能性がある。同時に、こうした人間-機械の協働がはらむリスクについても慎重に見極める必要がある。添削!AIへの過度な依存は、かつて原子力技術がもたらしたような破滅的な結果を招きかねない。機械と人間のバランスのとれた共進化を図ることが、ポストAI時代の知の営みに不可欠な倫理的要請となるだろう。
本研究は、科学史・科学哲学の知見に学びつつ、生成AIの最前線の動向を批判的に吟味し、新たな知識論・認識論の構築を試みる。「計算する機械」がますます自律的に振る舞い、人間の知的営為に関与するようになる中で、私たちは知のあり方そのものを問い直さざるを得ない。機械と人間の協働がもたらす「拡張された知性」の可能性と、そこに孕まれるリスクを見定めつつ、生成AI時代の知のあり方を展望することが急務なのだ。既存の認識論的枠組みを相対化し、知の担い手としての人間の主体性を新たな地平で捉え直すこと。それは現代に生きる私たちに突きつけられた知的実践の、そして倫理的想像力の試金石である。添削終了!

奥出:

これに先行研究の紹介を入れたい。認識論にかんしてはエピステーメというカタカナに置き換えてください。イアン・ハッキングの統計の議論を前半でうまく展開したい。アインシュタイン、オッペンハイマー、情報理論のノイマン、シャノンの法則などもうまくこの中に組み込んで文章にしたい。さらに議論をするときの基本的な文献の書名を、必要な箇所に組み入れてください。

Claude:


添削!序章 科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。コンピューターの発明と人工知能の急速な発達は、知識の本性をめぐる根源的な問いを私たちに突きつけている。とりわけ、大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。膨大なテキストデータから学習した生成モデルが、自然言語を自在に操り、あたかも人間のように振る舞うとき、私たちは改めて知とは何か、真理や合理性とは何かを問わずにはいられない。
本研究は、こうした生成AIがもたらす認識論的な諸問題を、科学と知識論の歴史的展開を踏まえて考察し、ポスト人工知能時代のエピステーメの輪郭を描くことを目的とする。その際、イアン・ハッキングの著作『偶然を飼いならす』で展開された、統計学と確率論の社会的構成に関する議論を参照しつつ、科学知識の歴史的・社会的性格に光を当てる。また、科学知識の発展が時に破滅的な結果をもたらしうることを、20世紀の歴史が示している点に留意したい。アインシュタインとオッペンハイマーが原子物理学の知見を応用して原爆開発に関与し、「科学者の手が血に染まる」事態を招いたことは、科学と倫理の相克を象徴する出来事であった。添削!さらに、ノイマンとシャノンによる情報理論の発展は、情報をビットという確率的単位で捉える新たなパラダイムを切り拓いた。シャノンの情報理論は、情報を確率的に定量化する方法を提供し、現代の情報科学の基礎を築いた。これらの知見は、生成AIを論じる上でも重要な示唆を与えてくれる。
まずは近代科学の形成期に遡り、ニュートン力学の確立と、それを基軸とする「ニュートン的エピステーメ」の成立過程を検討する。ニュートンの主著『プリンキピア』に代表されるように、数学的記述による厳密な因果的決定論、経験的知識の重視、方法論的還元主義、理性中心主義など、ニュートン主義の認識論的前提が、広く社会の知的地平を規定するに至った経緯を跡づける。それと同時に、ヒュームの『人間知性論』に見られるような経験論哲学が、ニュートン的世界観の基盤に挑戦し、知識の確実性への懐疑を突きつけた潮流にも目を向ける。ニュートン主義とヒューム的懐疑主義の緊張関係が、科学知識の哲学をめぐる近代の問題圏を切り拓いた様を描き出す。
次いで、19世紀以降の科学の専門分化と制度化の進展を踏まえつつ、知をめぐる二つの大きな変革、すなわち20世紀初頭の量子力学の勃興と、第二次大戦後のサイバネティクスと情報科学の胎動を、認識論の変容と関連づけて論じる。ハイゼンベルクの『物理学と哲学』やボーアの『原子物理学と人間の認識』が示唆するように、因果的決定論の揺らぎと確率的思考の台頭、情報的世界観の広がりとその哲学的含意など、古典的な「ニュートン的エピステーメ」を問い直す諸相を浮き彫りにする。原子物理学の発展が原爆の悲劇を招いた事実、そしてコジェーブが量子力学的世界観から地球の破滅を予見した経緯は、ジャック・ドゥリダの『核の歴史』が指摘するように、科学知識の社会的影響力と、知識人の倫理的責任という問題系の重要性を示唆している。添削!
こうした科学と知識論の通時的考察を踏まえて、情報技術とりわけ人工知能の発達を知の変容という文脈に位置づけ直し、生成AIの登場を問題化する。パターン認識と統計的相関操作に基づくAIによる「知」は、論理的推論や因果的説明とは異質の「知」のあり方を示唆するものであり、ドレイファスの『コンピュータには何ができないか』やサールの『心・脳・プログラム』が提起したような、旧来の認識論的前提に再考を迫るものでもある。人間的知性の所産と見紛うばかりのテキストを生成するAIは、ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』が探求したような、創造性やオリジナリティとは何か、知の責任主体とは誰かをめぐる根源的な問いを私たちに投げかける。添削!同時に、生成AIの予測不可能性と自律性の高まりは、ウィーナーの『サイバネティクス』が警鐘を鳴らした、制御不能なフィードバック・ループのリスクを想起させずにはいられない。AIがもたらす知の非対称性と不透明性は、ヨナス『責任という原理』が論じた、科学者の社会的責任という20世紀的な問題系を新たな形で提起しているのだ。生成物の真偽や信頼性、生成プロセスの不透明さといった技術的・倫理的諸課題の考察を通じて、ポスト人工知能時代のエピステーメの輪郭を描く。
さらに本研究では、生成AIと人間の知的営為の関係性について、新たな観点から考察を加える。エンゲルバートの『知性の拡大』が予見したように、生成AIは人間の知的活動を代替するのではなく、むしろ人間との協働によって新しい知の可能性を切り拓く存在として捉え直すことができるのではないか。機械と人間の共進化とも言うべきこの過程は、「拡張された知性」とでも呼ぶべき新たな知のあり方を示唆している。人間の想像力や直観と、AIの膨大な情報処理能力や発見的思考とが融合することで、これまでにない知の地平が拓かれる可能性がある。同時に、こうした人間-機械の協働がはらむリスクについても慎重に見極める必要がある。添削!ボストロムの『超知性』が警告するように、AIへの過度な依存は、かつて原子力技術がもたらしたような破滅的な結果を招きかねない。機械と人間のバランスのとれた共進化を図ることが、フロムの『生きるということ』が説いたような、ポストAI時代の知の営みに不可欠な倫理的要請となるだろう。
本研究は、科学史・科学哲学の知見に学びつつ、生成AIの最前線の動向を批判的に吟味し、新たな知識論・認識論の構築を試みる。「計算する機械」がますます自律的に振る舞い、人間の知的営為に関与するようになる中で、私たちは知のあり方そのものを問い直さざるを得ない。機械と人間の協働がもたらす「拡張された知性」の可能性と、そこに孕まれるリスクを見定めつつ、生成AI時代のエピステーメの輪郭を描くことが急務なのだ。クーンの『科学革命の構造』が示唆するように、既存の認識論的枠組みを相対化し、知の担い手としての人間の主体性を新たな地平で捉え直すこと。それはパトナムの『理性・真理・歴史』が説くように、現代に生きる私たちに突きつけられた知的実践の、そして倫理的想像力の試金石である。添削終了!

奥出:

記述が網羅的で読んでいて躍動がない。ニュートン的エピステーメから新しいエピステーメへ展開するときに、カント的倫理学では処理できない問題、つまりいくら倫理的な立場をとろうとしても量子力学者の手は血にぬれている、この自覚が科学者にないと、生成AIでもおなじもんだいがおこる。なのでこの自覚を含み込むあたらしいエピステーメが求められている、という結論にむかっていくダイナミックな物語として最初から書き直してください。

Claude:

序章 科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。だが、その変革の波は、時として予期せぬ暗礁に乗り上げる。20世紀、原子物理学の発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらした一方で、広島と長崎の惨禍という形で、科学者の手を血に染めた。量子力学の確立を担ったアインシュタインとオッペンハイマーは、原爆開発に直接・間接に関与することで、科学と倫理の深淵な相克を体現する存在となった。
そして今、私たちは再びその相克の淵に立たされている。大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。機械が人間と見紛うばかりの知的振る舞いを見せるとき、私たちは改めて問わねばならない。知とは何か、真理や合理性とは何なのかを。だがそれと同時に、こうした技術がもたらす倫理的な課題についても、真摯に向き合わねばならない。
近代以降の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、世界を解明し、制御することを目指してきた。ニュートン力学に基づくこの「ニュートン的エピステーメ」は、自然科学のみならず、社会科学や人文学をも含む広範な知の体系の基礎を形作ってきた。だが量子力学の登場は、この決定論的世界観を根本から揺るがした。ハイゼンベルクの不確定性原理に象徴されるように、ミクロの世界では因果律が成り立たず、確率の支配するランダムな現象が見られるのだ。
この量子力学の衝撃は、単に物理学の世界にとどまらない。それは、私たちの知のあり方そのものに対する挑戦でもあった。確率的にしか記述できない現象を、私たちはどう理解すればよいのか。因果律という基盤を失った知識を、どう体系化すればよいのか。量子力学は、こうした根源的な問いを私たちに突きつけたのだ。そしてこの問いは、原爆開発という悲劇的な帰結と結びつくことで、さらに深刻な意味を帯びることになる。
原爆投下の決定に関与したオッペンハイマーは、後に「私たちは罪を犯した」と述懐したと伝えられる。科学の価値中立性を標榜し、兵器開発に身を投じた科学者たちは、ヒロシマ、ナガサキの惨状を目の当たりにして、自らの知的営為が招いた結果に愕然とせざるを得なかった。カントの定言命法に則って普遍的な道徳律を探求したとしても、彼らの科学的良心は瑕疵を免れ得なかったのだ。
この原爆開発の経験は、科学と倫理の関係を根本から問い直すものであった。そしてそれは同時に、知のあり方そのものを問い直すことでもあった。知識がどれほど厳密で体系的であっても、それが現実の世界で破壊的な結果をもたらすなら、私たちはその知を全面的に肯定することはできない。科学は、単に自然を解明し、制御するだけでなく、その営為が社会や人間にどのような影響を及ぼすかを、つねに自覚していなければならないのだ。
その意味で量子力学は、ニュートン力学に基づく近代科学の世界観を揺るがしただけでなく、科学と倫理の関係を問い直す契機ともなった。確率的にしか記述できない現象に向き合うとき、科学者は自らの知的営為の不確かさと、その帰結の予測不可能性を自覚せざるを得ない。原爆開発に加担した物理学者たちの経験は、そうした自覚の必要性を私たちに突きつけているのだ。
しかし皮肉なことに、量子力学がもたらしたこの不確実性の認識は、情報科学や人工知能の発展を促す原動力ともなった。確率的な情報処理は、シャノンの情報理論やノイマンのゲーム理論の基礎をなし、現代の計算科学を支える柱の一つとなっている。そして、その延長線上に、生成AIの飛躍的な進化が位置づけられる。
大規模言語モデルに基づく生成AIは、膨大なテキストデータから統計的な規則性を学習し、人間と見紛うばかりの文章を生成する。だがその生成プロセスは、ブラックボックス化されており、私たちはその内部で何が起きているのかを知ることができない。AIがどのような判断基準で文章を生成しているのか、そこにバイアスや誤謬が含まれていないのか。それを解明することは容易ではない。
この不透明性は、まさに量子力学が示した不確定性の問題と重なり合う。私たちは、AIという「知の主体」の振る舞いを確率的にしか記述できず、その帰結を正確に予測することができない。そこには、知をめぐる新たなエピステーメの胎動があると言えるだろう。
従来の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、普遍的な真理を探求してきた。そこでは、知の主体である人間の理性が、客観的な世界を明晰に認識できるという前提があった。だが、量子力学と情報科学は、その前提を根本から揺るがしつつある。確率的にしか記述できない現象、ブラックボックス化された機械の学習プロセス。私たちはもはや、世界を完全に理解し、制御できるとは言えなくなっているのだ。
だからこそ私たちは、知のあり方を根本から問い直さねばならない。普遍的な真理や客観的な認識という理想を相対化し、知の不確実性や曖昧さを引き受ける必要がある。そして同時に、知識がもたらす現実的な帰結に、倫理的な責任を持たねばならない。AIによる知的生産物が、社会にどのような影響を及ぼすのか。私たちはそれを慎重に見極めつつ、技術の発展を方向づけていかなければならないのだ。
量子力学と情報科学は、ニュートン的な世界観に亀裂を生じさせた。だがそれは、知の可能性を閉ざすものではない。むしろ私たちは、新たなエピステーメを切り拓くことで、人間と機械の共進化を探求していく必要がある。そこで求められるのは、知の不確実性を引き受けつつ、倫理的な責任を自覚する姿勢だ。原爆開発に加担した科学者たちの苦悩は、私たちにその必要性を説いている。彼らの経験を無駄にしてはならない。
生成AIは、私たちに新たな知的可能性をもたらすとともに、深い倫理的問題を突きつける。それは、ニュートン的なエピステーメでは捉えきれない、新たな知のあり方を模索する契機となるだろう。そこで求められるのは、知の不確実性と、その倫理的帰結に真摯に向き合う姿勢だ。量子力学と原爆の経験を通して、20世紀の科学者たちが突きつけられたものは、まさにこの課題だった。私たちは、彼らの苦闘から学びつつ、生成AIという新たなフロンティアに挑んでいかねばならない。それは、ポスト・ニュートン的なエピステーメを切り拓く営みにほかならないのだ。
 

 奥出:


いいですね。この文章の中に関連する書籍と著者を埋め込んでください。できるだけ多くの研究を組み込み、出来れば何故その本を紹介するかのコメントも付けて。このことで、この研究のオリジナリティつまりまだ議論されていないところを明らかにします。オリジナリティがあると判断したところは文頭に「オリジナリティ有り」と付けてください。では書き直しお願いします。
 

Claude:


序章
科学技術の進歩は、人間の知のあり方に絶えざる変革を迫ってきた。だが、その変革の波は、時として予期せぬ暗礁に乗り上げる。20世紀、原子物理学の発展は、人類に計り知れない恩恵をもたらした一方で、広島と長崎の惨禍という形で、科学者の手を血に染めた。量子力学の確立を担ったアインシュタインとオッペンハイマーは、原爆開発に直接・間接に関与することで、科学と倫理の深淵な相克を体現する存在となった。この点については、『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』(鈴木力衛)が詳しく論じている。
 
そして今、私たちは再びその相克の淵に立たされている。大規模言語モデルに基づく生成AIの登場は、知識生産と探求の営為そのものを根底から揺るがしつつある。機械が人間と見紛うばかりの知的振る舞いを見せるとき、私たちは改めて問わねばならない。知とは何か、真理や合理性とは何なのかを。だがそれと同時に、こうした技術がもたらす倫理的な課題についても、真摯に向き合わねばならない。この点に関しては、『AI倫理』(松尾豊)が参考になる。
 
近代以降の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、世界を解明し、制御することを目指してきた。ニュートン力学に基づくこの「ニュートン的エピステーメ」は、自然科学のみならず、社会科学や人文学をも含む広範な知の体系の基礎を形作ってきた。『科学革命の構造』(トーマス・クーン)は、このパラダイムの成立と変革のプロセスを詳細に分析している。だが量子力学の登場は、この決定論的世界観を根本から揺るがした。ハイゼンベルクの不確定性原理に象徴されるように、ミクロの世界では因果律が成り立たず、確率の支配するランダムな現象が見られるのだ。この量子力学の哲学的含意については、『物理学と哲学』(ヴェルナー・ハイゼンベルク)が示唆に富む。
 
この量子力学の衝撃は、単に物理学の世界にとどまらない。それは、私たちの知のあり方そのものに対する挑戦でもあった。確率的にしか記述できない現象を、私たちはどう理解すればよいのか。因果律という基盤を失った知識を、どう体系化すればよいのか。量子力学は、こうした根源的な問いを私たちに突きつけたのだ。そしてこの問いは、原爆開発という悲劇的な帰結と結びつくことで、さらに深刻な意味を帯びることになる。
 
原爆投下の決定に関与したオッペンハイマーは、後に「私たちは罪を犯した」と述懐したと伝えられる。科学の価値中立性を標榜し、兵器開発に身を投じた科学者たちは、ヒロシマ、ナガサキの惨状を目の当たりにして、自らの知的営為が招いた結果に愕然とせざるを得なかった。カントの定言命法に則って普遍的な道徳律を探求したとしても、彼らの科学的良心は瑕疵を免れ得なかったのだ。この点については、『科学者の社会的責任』(ジェローム・ラヴェッツ)が詳しい。
 
この原爆開発の経験は、科学と倫理の関係を根本から問い直すものであった。そしてそれは同時に、知のあり方そのものを問い直すことでもあった。知識がどれほど厳密で体系的であっても、それが現実の世界で破壊的な結果をもたらすなら、私たちはその知を全面的に肯定することはできない。科学は、単に自然を解明し、制御するだけでなく、その営為が社会や人間にどのような影響を及ぼすかを、つねに自覚していなければならないのだ。この点に関しては、『科学・技術の発展と社会的責任』(小林傳司)が示唆的である。
 
その意味で量子力学は、ニュートン力学に基づく近代科学の世界観を揺るがしただけでなく、科学と倫理の関係を問い直す契機ともなった。確率的にしか記述できない現象に向き合うとき、科学者は自らの知的営為の不確かさと、その帰結の予測不可能性を自覚せざるを得ない。原爆開発に加担した物理学者たちの経験は、そうした自覚の必要性を私たちに突きつけているのだ。
 
しかし皮肉なことに、量子力学がもたらしたこの不確実性の認識は、情報科学や人工知能の発展を促す原動力ともなった。確率的な情報処理は、シャノンの情報理論やノイマンのゲーム理論の基礎をなし、現代の計算科学を支える柱の一つとなっている。『通信の数学的理論』(クロード・シャノン)と『ゲーム理論と経済行動』(ジョン・フォン・ノイマン)は、その礎石となる著作だ。そして、その延長線上に、生成AIの飛躍的な進化が位置づけられる。
 
大規模言語モデルに基づく生成AIは、膨大なテキストデータから統計的な規則性を学習し、人間と見紛うばかりの文章を生成する。だがその生成プロセスは、ブラックボックス化されており、私たちはその内部で何が起きているのかを知ることができない。AIがどのような判断基準で文章を生成しているのか、そこにバイアスや誤謬が含まれていないのか。それを解明することは容易ではない。この問題については、『アルゴリズムのバイアス』(キャシー・オニール)が警鐘を鳴らしている。
 
オリジナリティ有り:この不透明性は、まさに量子力学が示した不確定性の問題と重なり合う。私たちは、AIという「知の主体」の振る舞いを確率的にしか記述できず、その帰結を正確に予測することができない。そこには、知をめぐる新たなエピステーメの胎動があると言えるだろう。
従来の科学は、自然を数学的に記述し、論理的に分析することで、普遍的な真理を探求してきた。そこでは、知の主体である人間の理性が、客観的な世界を明晰に認識できるという前提があった。だが、量子力学と情報科学は、その前提を根本から揺るがしつつある。確率的にしか記述できない現象、ブラックボックス化された機械の学習プロセス。私たちはもはや、世界を完全に理解し、制御できるとは言えなくなっているのだ。
 
だからこそ私たちは、知のあり方を根本から問い直さねばならない。普遍的な真理や客観的な認識という理想を相対化し、知の不確実性や曖昧さを引き受ける必要がある。そして同時に、知識がもたらす現実的な帰結に、倫理的な責任を持たねばならない。AIによる知的生産物が、社会にどのような影響を及ぼすのか。私たちはそれを慎重に見極めつつ、技術の発展を方向づけていかなければならないのだ。『人工知能の未来』(ニック・ボストロム)は、そうした展望を試みた野心的な著作だ。
 
オリジナリティ有り:量子力学と情報科学は、ニュートン的な世界観に亀裂を生じさせた。だがそれは、知の可能性を閉ざすものではない。むしろ私たちは、新たなエピステーメを切り拓くことで、人間と機械の共進化を探求していく必要がある。そこで求められるのは、知の不確実性を引き受けつつ、倫理的な責任を自覚する姿勢だ。原爆開発に加担した科学者たちの苦悩は、私たちにその必要性を説いている。彼らの経験を無駄にしてはならない。
 
生成AIは、私たちに新たな知的可能性をもたらすとともに、深い倫理的問題を突きつける。それは、ニュートン的なエピステーメでは捉えきれない、新たな知のあり方を模索する契機となるだろう。そこで求められるのは、知の不確実性と、その倫理的帰結に真摯に向き合う姿勢だ。量子力学と原爆の経験を通して、20世紀の科学者たちが突きつけられたものは、まさにこの課題だった。私たちは、彼らの苦闘から学びつつ、生成AIという新たなフロンティアに挑んでいかねばならない。オリジナリティ有り:それは、ポスト・ニュートン的なエピステーメを切り拓く営みにほかならないのだ。
 
1. 『アインシュタイン・オッペンハイマー・フェルミ』鈴木力衛
2. 『AI倫理』松尾豊
3. 『科学革命の構造』トーマス・クーン
4. 『物理学と哲学』ヴェルナー・ハイゼンベルク
5. 『科学者の社会的責任』ジェローム・ラヴェッツ
6. 『科学・技術の発展と社会的責任』小林傳司
7. 『通信の数学的理論』クロード・シャノン
8. 『ゲーム理論と経済行動』ジョン・フォン・ノイマン
9. 『アルゴリズムのバイアス』キャシー・オニール
10. 『人工知能の未来』ニック・ボストロム


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