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書活213日目*インスピレーションは近所にいます。

起きなければ!!
この葛藤から1時間、この間に何度眠りの世界に入ってしまったことか。

最終的に砂漠のある町で、ゾンビから逃げるという夢を見てしまいました。逃げ切った先が計算し尽くされたシェルターのようなメゾネットタイプのマンション。

生き残っていた人間たちとの共同生活、ゾンビから隔離し文化を営む人間たち。そして熱波の季節、ゾンビ菌が弱まりゾンビ化した人々が、意識を取り戻しました。

平和な世界が訪れ。ゾンビ化した人々の後遺症は硬化した皮膚、時間の経過とともに剥がれ落ちるようです。そんな人々と隣り合って野球の試合を見る人間たち。

街が動き出し、研究者たちはゾンビ菌に打ち勝つべく、ワクチンや特効薬の研究開発を急ぎましたとさ。終わり。

映画のような美映像で、続編が観たくなりました。いえ、これは夢です。早く起きなければ!!

娘の朝練のために私は起きたいのです。続きを見ている場合ではありません。

しかし、なぜゾンビだったのでしょう。極力そういうものは見ないようにしています。

ところで昨日、興味本位で「インスピレーションを磨く方法」というLive配信を見ていました。セドナに行って、ホピ族の方に出会い感じたことを教えてくれると言っていたからです。

セドナというと、アリゾナ州のなんだか世界的なパワースポットでものすごいエネルギーを感じるとか聴くあの場所。

ネイティブ・アメリカンの聖地とも言われているようです。

大学で、アメリカ文学を学んだ時に「ジェロニモ 」という人物について教わりました。誇り高い戦士として語り継がれていますが、彼らは彼らの生活をただ守っていただけだということ。

若い私には理解に苦しみました。その後はアメリカで起こった悲しい歴史などを知り、アメリカの映画やドラマを少し斜めに見てしまう癖がついてしまいました。

自由、バラ色、百万ドル、煌びやかに見える光には影がつきもの。その土地にいた人々を追いやり土地を広げる。広げなければ、人が溢れてしまうから、生まれ故郷では蔑まされていたから、新天地を求めて…。

その先に必ず犠牲になる人がいるのはなぜだ!?文明の発展のためには必須なのか、共存は不可能だったのでしょうか。

そんな思考の世界に寄り道している間に、主催の男性の方のセドナで感じたことなどの話が進んでました。結果的にセドナに行って「インスピレーションは感じなかった」という話。

ズコーーーーッッ!!!!!

そもそもインスピレーションのイメージって雷で打たれるようなものを想像すると思います。彼曰く、なんとなくそれっぽいという感覚がインスピレーションかも!?と持論を展開していました。

じゃあ、「なんとなく今日は魚が食べたい気分」がインスピレーションということなの!?それなら私は毎日なんとなくで生きてるのでインスピレーションの塊ではないの!?

なんだか自分が神々しく感じてきました。

彼がセドナで体験したとても良いことは「今を感じる、今に感謝する、今を大切にする」そういう教えを同行された方に教えてもらったそうです。セドナは全く関係ないじゃん。

いや、旅をして同行者と「今を話した」それがたまたまセドナだったということ?セドナという地がその話をさせたのでしょうか?

続けて「余白が大事」だとおも言っていました。また余白!!インドに旅した人も余白が大事だと言ってるし、何余白って!?

旅に行かなければ余白は生まれないのか?今を大切にすることが重要ならば、場所はどこでもいいはず…

ああ、そうか。このスマホを置いて自宅の庭で空気や匂いや季節を感じるだけでも「今を大切」にできるのでしょう。

では私が今朝見た夢は、一体なんだったのでしょうか?不安だらけの世界ですが、結局まあなんとかなる、かなとインスピレーションがぼんやり浮かびました。

そうなんとなく、思ったので「まあ、なんとかなる」と受け取ることにします。今日も張り切らずにインスピレーションの波間に揺蕩います。

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