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ゲームが好き!はゲーム開発に向いてるの?

こんにちはOKOWA_Tと申します。個人でインディゲームを開発しています。
タイトルの主語がややクソデカですみません。
仮にタイトルが「美味しいカサブタの食べ方100選!」でも読んでいただけるのならそれでもいいのですがカサブタを食す文化を持っていないため表題通りの内容で書かせていただきます。

さて、僕自身一作しかゲームをリリースしていないので偉そうに語れる立場ではまったくもってないのですがゲームを作り始める前はゲームを遊ぶのが好きなことはゲーム制作に役立つのか大いに疑問でした。

「好きなんだから良いゲーム作れるに決まってんじゃん!!」

という過信を抱ける程には若くもないので大人の経験則として

「それとこれとは別だよね」

とは思っていたのですが…。

「好き」という原動力と幻想

決論からいうとゲームが好きな事は必要な資質ですがそれだけでは到底戦えない、というのが僕の感じた答えです。
考えてみれば牛丼が好きだからって食べてるだけで美味しい牛丼を作れるかっていうとそうでもない理屈と同じですよね。

ただ悲しいかなオタクの性でこんなにゲームが好きなんだからゲームも俺を愛してくれているはず!という幻想はなぜか抱いてしまうのも無理はない気がします。

そしてその気持ちが強いほど開発を始めて「ゲームに裏切られた」という感覚を持ってしまうのではないでしょうか。
そうです。ゲームは僕らのことを愛してはいません。なぜならあいつらはプログラムだから。

なら「好き」は何の役にも立たないの?

誤解して欲しくないのですがゲームエンジンをダウンロードして立ち上げるだけでもすごい行動力だと僕は思います。
そして謎のウインドウや意味不明な機能群を目にし触れる恐怖たるや…。

フォトショップを初めて使ったとき、それより遥かに難しい3DCGソフトを覚えるときよりも段違いで激ムズで怖いのです。
開発を始めるとその難解さが容赦なく襲ってきて希望を粉々に砕いてくれます。これが人にやれと命じられた興味のないことなら僕は絶対に続けられなかったと思います。

そんな時に寄る辺になるのは他でもないゲームを「好き」という気持ちです。

難局は絶対に絶対にある

ゲームは様々な部品の集合体です。カッコつけて言えばアートとテクノロジーの融合。僕の感覚で言うと「異なるオタクジャンルの闇鍋悪魔合体」です。
個人で作る場合よほど全方向の天才でない限りどうしても適正のない分野が出てきます。
ゲームはキャラクターデザイン、モーション、背景、UI、レベルデザイン、プログラム、音素材、カットシーン演出、デバッグ、厳格な義父から「私が美少女になったらやりたいこと」というポエムを耳元で裏声の朗読をされる、などこれでもごく一部ですが様々な構成要素から成り立っています。誰でも苦手な分野があって当然です。僕は最後のやつが特に嫌。

個人的にはUIが信じられないくらい難しくて泣きながら作っていました。当たり前に動いているようでゲーム上のあらゆる変数や構造体を扱うのでめちゃくちゃ難しいんですよあれ。

それでもゲームを遊んで楽しかった思い出が、その楽しさのいくばくかでも自分で再現したいという気持ちがギリギリで踏み留まらせてくれたという感覚があります。

ポジティブな側面ばかりでない開発作業を支えてくれたのはそういった「好き」だったと思うのです。
とはいえぶっちゃけそれを見失いそうになることも1度や2度ではなかったのも告白しないとフェアではないですね。

でも「好き」は大事です!

僕の処女作ENTANGLED SOULSはsteamで配信中です。

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