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日本の調香の始まりを推察

前回の記事にある「鑑真和上による日本の調香の始まりとは?」について、更に推察してみようと思い、いくつかの文献を読んでまとめてみました。

1.鑑真和上が日本に調香技術を伝えたという推察理由なる情報①
私が拝読した『唐大和上東征伝』の一文に、船に積載するものとして香に関する香原料の記述がありました。

『唐大和上東征伝』より
「麝香廿臍沉香甲香甘松香龍腦香膽唐香安息香棧香零陵香靑木香薫陸香都有六百餘斤又有畢鉢呵梨勒胡椒阿魏石蜜蔗糖等五百餘斤蜂蜜十斛甘蔗八十束」

現代語訳
「麝香を二十臍、沈香・甲香・甘松香・龍腦香・膽唐香・安息香・棧香・零陵香・青木香・薫陸香・まとめて六百余斤有り。また、畢鉢・呵梨勒・胡椒・阿魏・石蜜・蔗糖など五百余斤有り・蜂蜜が十斛・サトウキビが八十束」

2.鑑真和上が日本に調香技術を伝えたという推察理由なる情報②
『続日本紀(しょくにほんぎ)』にある鑑真の伝記に「所進医薬有験」とあり、鑑真は病人に漢方薬を処方し、改善させたという一文があります。
また、唐招提寺の庭に、薬草を育てる供華園(くかえん)という薬草園を作っており、漢方薬に精通していたようです。
さらに、鑑真が生まれる以前から中国の漢方薬の文献には丸薬状の薬(練香と同じように原料の粉末を調合し蜂蜜で丸く形成した漢方薬)あったと記述されています。

他にも鑑真和上に関する『東証伝絵巻』や『大唐伝戒師僧名記大和鑑真伝』などがありますが、『東証伝絵巻』からは得られるものはなく、『大唐伝戒師僧名記大和鑑真伝』は見つけることがでず、拝見できる機会があれば見てみたいものです。私が調べられる範囲はここまででした。

3.日本独自の調香についての最初の文献
文献として残っているもの1008年頃の『源氏物語』の「梅枝」の巻に薫物の調香の話が出てくるところになります。

『源氏物語』ではすでに練香は流行りであり、使うだけでなく自分で調合し競いあっていることから、小説になる以前から日本で調香はされていたと推測されます。
海外からの香原料を手に入れるのも大変な時代で、インターネットもなく口伝だとすれば、1008年よりもかなり以前から調合が行われていたと推測されます。

4.日本での焼香の調合
山田憲太郎の『香料 日本のにおい』の中で「六世紀の末には仏教儀礼の焼香供養品として、香料がわが国に伝来したのは事実である。」とあり、さらに本書の中では中国より香料を仕入れ、焼香を調合していたのだろうと推察しています。

これら4点から推察すると、

4から仏教により焼香の調合(中国から伝わったレシピに沿って香りを創る)は、六世紀初めに行われたと考えられる。
1と2から遣唐使により、香原料や練香のヒントとなる丸薬の作り方も広まった可能性がある。
3から日本独自の香りを創り始めたという意味での調香の始まりは、唐の文化に日本独自の文化を組み入れた国風文化が発展する中で作られたと考えられる。

まとめ
 お香の調合は6世紀初めに伝わり、日本の独自の香りの調香は10世紀初めの『源氏物語』が書かれる前に生まれたのではないかと推察します。
 その中で、鑑真により練香を創るヒントが伝わった可能性があってもおかしくないと感じました。

調べる程に、お香の文化は奥が深いなと思いました。
皆様もお香を焚いて日本の香りの文化を感じてみてはいかがでしょうか。

※ 調香は香りを創ること、調合は決められた分量で原料を混ぜ合わせること、合香は香原料を練り合わせ香りを創ること(練香を作ることと解釈)、としています。

練香が気になる方は、練香で一番有名な黒方を試されるのがお勧めです。




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