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鑑真和上による日本の調香の始まりとは?~お香の歴史~

和の香りが生まれた時期、日本での調香(※1)はいつから始まったのか?
それは、奈良時代に鑑真和上(がんじん わじょう)が中国より日本にやって来たことが深く関わっていると言われています。

鑑真和上は日本の文化に欠かせない人なので、
なぜ日本に来たのかも合わせてお話ししたいと思います。

鑑真和上が渡日する200年程前に仏教が伝来しました。
その頃の日本の仏教では、受戒せずとも「私は僧侶である」と名乗れば
誰でも僧侶になれました。
受戒をざっくり説明すると、仏教で守るべき規律である戒律を受け僧侶と認定してもらう儀式のようなものです。
僧侶は免税の特権があるため、自称僧侶が大量に量産されたようです。
困った天皇が、中国に受戒のできる僧侶を探すように遣唐使を派遣し、探し当てたのが中国でも一、二を争う高僧であった鑑真和上でした。
唐は中国人の海外渡航を禁止していたことや、当時は船での渡日の成功率の低さから難航します。
弟子が師を心配し、密告して連れ戻されたり、船が難破したりと4度渡日に失敗し、5度目には日本ではなく海南島にまで流されてしまいます。

ちなみに、海南島は沈香産地で有名で、乱伐により沈香がほぼ無くなったと噂されていましたが、今は沈香の栽培が盛んに行われているようです。

話を戻して、鑑真和上は海南島から元々いたお寺に帰る際に疲労により失明してしまいます。
それでも諦めることなく、6度目にしてやっと日本に上陸します。

鑑真和上は、仏教の戒律と共に様々なものを日本に伝えたと言われています。
味噌や納豆、豆腐、医学、漢方薬、建築技術、彫刻技術、書道などです。
そして、数十種類の香原料と共に練香の合香の術も伝えたようです。

しかし、本当のところは、鑑真和上のことについて書かれた当時の文献は、合香に関する記述は一切見当たらないようで、真相は誰にも分かりません。
ただ、鑑真和上が日本に持ち込んだ物や状況から見て、練香の合香の術が鑑真和上により伝わったと推察されたようです。

そのため、鑑真和上により日本でのお香の調香が始まったと言われています。

次回は、自分なりに調香の始まりを推察してみたいと思います。

※1 調香は香りを創ること、調合は決められた分量で原料を混ぜ合わせること、合香は香原料を練り合わせ香りを創ること(練香を作ることと解釈)、としています。
※2 練香とはお香の一種で、香原料を密で練り上げ丸薬状にまとめたものです。

練香が気になる方は、練香で一番有名な黒方を試されるのがお勧めです。


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