見出し画像

フェミニズムが保守派の女性を嫌う構造

 菅総理が、任期満了に伴う退任をすることが報道されているのであるが(なぜか辞任とマスコミは報道しているが)、それにともなって総裁候補に女性の高市早苗氏が候補として挙がっている。安倍元総理などがといったところが支援に回るように説得しているところであり、ひょっとしたら日本で初の女性大臣になるかもしれない。


 そうなると、フェミニズムとしては喜ばしいことなのだろう。と思うのかもしれないが、当のフェミニストといえば彼女の総裁就任に反対のようである。



 これに対して、アンチフェミニズム側などからは疑問の声が多かった。その多くは、女性の社会進出のために女性を高い地位につけることを目的としてきたのが、他ならぬフェミニズムである。にもかかわらず、それを妨害するような行為を自ら行っているからである。筆者も少し調べたが、それだけでもフェミニズムからは拒否する姿勢を垣間見ることができた。

 なぜ行うのか?単に都合のいい女性じゃないから、自分より上の女を推したくないから、男性だけを叩くためにやっているからか?

 色々な考察があるのだが、別にこのような動きは珍しい話でもないし、前からもあった。理由もごく単純だといっていいだろう。


 では、どんな理由なのか?


1 そもそも保守的な女性は受け入れがたい


(1)保守的な理念が強い傾向にある

 根本的な部分として、彼女自身が保守政治家であることが、根本的な拒否理由であるといえる。早速だが彼女の政治理念を少しチェックしてみると。

4、「機会平等」を保障する制度設計に変える
 国の制度設計については、「行き過ぎた結果平等」を廃し、「機会平等」を保障するべきだと考えています。・・・ 「ジェラシーに立脚した法制度」が増え過ぎると、優れた人材も企業も育ちません。
6、国家の基本である「教育」を立て直す
  第1次安倍内閣が60年ぶりに「教育基本法」の改正を断行したことは、当時の答弁担当閣僚の1人だった高市早苗にとっても大きな喜びでした。
 教育の目標として、「道徳心」「自主及び自律の精神」を培うとともに「勤労を重んずる」「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参加し、その発展に寄与する」「生命を尊び、自然を大切にし」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度を養うことを記しました。「家庭教育」の規定も新設しました。・・・
 ・・・「改正教育基本法」の崇高な理念が完全に実行される日まで、教育改革への挑戦を続けます。先ずは、基礎学力と体力の向上とともに、公徳心・生命観・勤労観・国や郷土を愛する心を育みます。

 少し見てのとおり、彼女の政治理念を見ていると保守的な理念を持っている部分が強いことがうかがえる。機会平等の観点も従来のフェミニズムがアファーマティブアクションを導入しようとしているところとは真っ向から反発するだろう。

 その他にも夫婦別姓論に反対していることや、女系天皇に反対、同性婚反対など、場合によってはストーカー規制法や児童ポルノなどの表現規制(本来なら、リベラル側が反対するはず政策だが、ここでは逆に規制をする側をリベラル側とする)のようなフェミニズムに合うような政策もあるのだが、基本的に保守寄りの思想を持っていることで、そもそもこの徐たちの基本的な思想とは合致しないのである。

(2)彼女はフェミニストにとって「名誉男性」である。

 彼女は女性でありながらも、保守的で男権的な価値観に重きを置いていることから、「名誉男性」と呼ぶようなこともある。

 名誉男性とは、簡単に言えば男性に媚びを売ったりして男性側に都合よく立ち振る舞う女性のことを指す蔑視的な言葉である。下記の記事は参考として紹介しておきたい。

 高市氏は、保守的で男性にとって都合のいい部分を保持してくれるという観点では、彼女たちにとっては非常に男尊女卑的で家父長制を保護する人物としてとらえられているのである。ちょうどそんな声をまとめたものもあるから、時間があれば一読すればいいだろう。

  無論、名誉男性というのは蔑視的に見ている発言として間違いはない。この言葉のモチーフになっている名誉白人といった言葉も、白人側からすれば白人と同等とみられる人々からの上から目線で与えられたようなものだし、それ以外の勢力からも、白人にこび売る人物として蔑視の目線で見られるものである。

 もちろん、彼女たちが蔑視の意味を込めてこう呼んでいるのは言うまでもないのだ。

 ついでにいうと、高市氏は昔に急進左派であるパトリシア・シュローダーという方のところで学んでいた過去があるのだが、そこから保守転向したかのような変化に、より名誉男性的なものを感じる人もいるかもしれない。

2 フェミニズムとリベラルの関係性から

 また、フェミニズム側にも協力できない事情はまだあるといえる。

 フェミニズムが普段協力関係にあるリベラル勢力のことを考えると、たとえ支持したいと思っていても、表立って賛同するわけにもいかないからである。

 フェミニズムは言うまでもなくリベラルに定義される思想であることはわかることであろうが、フェミニズムを主張する者の多くはそのほかのリベラル的な思想と親和的である。福祉政策や平和主義、人権関連といった政策を支持している人々が多く、正統的にもリベラル側に属しているところに支持を集めていることが多い。

 既存のリベラル勢力とのつながりが強い部分がある中で、真逆の姿勢を持っている高市氏を支持するというのは無理なのである。基本政策が違う人を支持すること自体、普段指示や協力関係にある人々に対して敵対的な姿勢を見せるようなことになってしまうのであり、関係性を悪化させてしまう懸念がある。
 それ故、懸念を回避するためにはたとえ女性の社会的な地位向上につながるようなことであっても、支持ができないのだ。

 仮にやったとしても、界隈から村八分にされるだろう。簡単な話ではあるが、フェミニズムが高市氏を支持しないというのは至極当然のことであり、難しい話でもないのだ。むしろ積極的に不支持表明することも、なにも不自然ではないのである。(もっと言えば、同様のことをずっと前からやっていたこともあるわけで。)


 簡単な話ではあるが、これくらい単純な理由くらいでも十分説明できるのである。


 単に数のために女性を入れる場合には、各政党からいろいろな人材が入ってくるのだから、リベラル側の気に入らない人材も当然入ってくるわけだ。しかし、女性でも選ぶのならそういった数を整えることに支障が出るのは言うまでもない。
 そのあたりは少しくらい考えが及んでいるのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?