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トモダチの名前

某日。
久々にカナダの友人達とスタジオに入った。(過去の日記を読んでくださった方は思い出していただけますでしょうか。)

近所のお寿司屋で出会ってから、春にはお花見をしたり、彼らが我々のバンドのライブを見にきてくれたりと、お互い言葉がわからない割には度々集まり、あれから交流は途切れずに続いている。
笑っちゃうほどお互い会話レベルは全く上がらず変わらず片言どうし。うまくなりゃせん。

我が家で初めて会食した日に約束した通り、
我々は音楽スタジオに入り、オリジナル曲を作ったり、カバー曲を演奏してみたりしている。

このバンドの時間では特に言葉はあまり必要ない。
相手の言いたい事が不思議と理解できるから自然と曲が生まれる。みんな笑顔。

曲のイメージやニュアンスをカタコトで相談するだけですでに3曲くらい完成した。

ものすごくかわいい、初々しいバンドサウンド。年齢も10歳以上離れた、異国の彼らとのバンドはゆっくりゆっくり形ができている。

ギターボーカルのゴードが集まるたびに、
「たむろたのしい」「たむろ最高」「またたむろしましょう」と集まって遊ぶことを
「コンビニの前で若者がたむろしている」というような、あまり日常的には使わない単語で、この集まりをうれしげにそう呼ぶのがとても新鮮で微笑ましい。
我々のこの初々しいバンド名は誰が言ったかわからないくらい自然に「TAMURO」と命名された。

TAMUROメンバーは
ギターボーカルにゴード、女性ボーカルにアニャ、ベースボーカルはクリス、ギターボーカル関谷、ドラムス守永兄、何と呼ぶのかサンプラー?ミキサー使い守永弟、そしてボーカルの私の計7人という大人数。
その名の通り待ち合わせで集まると、もうたむろ状態。
彼らのワーキングホリデーの期間中にライブができたら幸せだが、何せ初々しい。
どこまで完成できるか。誰もわからない。

スタジオ後に居酒屋で会食。
片言ながらもちゃんと無駄話で笑って飲んで楽しい。美味しいお酒とご飯も言葉はたいして要らない。
ゴードはいつか猫を飼いたいらしく、名前ももう決まっているという。
その名は「ファミチキ」と「ポカリ」だと目を輝かせて教えてくれた。
日本にきて衝撃を受けた素晴らしい物。
この二品を将来一緒に暮らす猫につけるという。もちろん本人は大真面目だ。

カナダの(たぶん木の)家でファミチキとポカリと呼ばれる二匹の猫ちゃんがゴードの周りでちょろちょろしているのを想像すると何とも愛しく、日本人の私には絶対に思いつかない楽しい名前だなと感心した。

TAMUROにファミチキにポカリ。
なんて愉快なお名前。

楽しい名前で思い出したのが、19歳の時に働いていたボーリング場のゲームセンターのアルバイト先で、両親が1階のパチンコ屋で銭を失っている間、一緒に来ている小さな子供達は親を待つのに退屈して、2階のそのゲーセンで待っていた。

当時、田舎のその施設に出入りする低学年の小学生男子は、前髪と襟足だけを伸ばした「ジャンボ尾崎ヘア」と呼ばれるヘアスタイルの子が多く見受けられた。
皆ゲームするお小遣いも一瞬で使い果たして、あとは公園の遊具がわりにゲームマシンで遊んでいた。

そのやんちゃでカラフルな男の子たちの中に、明らかに毛色の違う男の子がいた。

頭は丸坊主で着ている服も茶色や紺や黒系の煮物色というか、昭和のアーカイブ映像でみかけたような、お味噌のマスコットのような素朴なスタイルの男の子がひとり、やんちゃなチビジャンボ尾崎達の後ろをくっついて遊んでいた。

くりくりした黒目がちな瞳に下がった濃ゆい眉。ほっぺはやや赤くおまけに丸坊主。
つげ義春の漫画に登場する「三助」を思いださせるような様子のその子が、まるで自分の小さい時と重なり特に気になっていた。

やんちゃ達は退屈しているので、同じように勤務に退屈していた私とよくおしゃべりしていた。
私の推しのその三助(仮名)はみんなといる時は威勢がよく、私の変な制服姿をいじってきたり、名札の名前をみて「セン?!」「お前はセンとチヒロのセンやん!」と、私を「千」と呼んで囃し立てたりと元気がよかった。煮物色のセーターを着た三助の胸には、学校の名札がついていたので、会話の中で唐突に「ね?〇〇くん」と本名で呼ぶと、目をまんまるくして「なんで!なんでオレの名前知っとるん!」とマジックでもみたかのように驚き、その全てが小さくてちょろくて、どこまでも三助は可愛いかった。

三助だけがひとりゲーセンへ来ることも時々あった。いつものように元気なチビジャンボ達がいないからか、そんなひとりの時は決まって三助は
私には近寄ろうとはせず「〇〇坊〜どしたん今日はひとり?」と話かけてもギッと私を睨みつけながら「〇〇坊じゃない!おれは〇〇〇だ!」と突っぱねて全く相手にしてもらえなかった。
それでも私と三助だけの誰もいない広々としたゲーセンで、何となくお互い近くには居て、三助がひとりとぼとぼ歩きまわるのを見ていた。

三助は原因はわからないけれど、よくいじけて怒っていた。ひとり口をとがらせてぶつぶつ文句を言っていることもあった。

ある日、首からメダルを二本くらいさげてきたので、どうしたん?メダルすごいやん。ときけば「あいつらがオレをバカにするから、メダルつけてきた」という。
怒りにみちみちた三助は私を睨む時と同じようにそこにはいない「あいつら」に本気のメンチをきっていた。
見ればちゃんとした銅のメダル。怒りにみちみちた三助をなだめようと「メダルかっこいいやん!すごい。何でもらったと?」ときけば、
三助はまだどこかにメンチをきったまま拳をにぎりしめ
「オレの兄ちゃんが運動会のかけっこでもらった。メダルつけてきた。あいつらゆるせねぇ。これを見せてやる。」というので、三助にお兄ちゃんがいるのも初耳だったけれど、その攻撃方法があまりにも弱く、愛しかった。

もしかしたらあのミニジャンボ達から、のけものにでもされていたのだろうか。

あの日、ゲーセンで三助は怒れる小1の男だった。

また別の日に、ぬいぐるみをふたつ抱えて三助があらわれた。いつものように話をしながら、ぬいぐるみの名前をきけば「フリータイムくん」と「ノータイムくん」とふざけているのか、笑いながら教えてくれたのだけど、ちょっと一瞬びっくりしてしまい、昭和な風情の三助の口から、何だかアダルトな単語というか、そのネーミングに面食らって聞き返した。
え、フリータイムくん?え?え?
私が戸惑うのを三助は無邪気に笑っていた。

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