見出し画像

あの夏

中学と高校の6年間、軟式テニス部に所属していた。
秋田県のド田舎の学校には硬式テニス部というものが存在しなかったので、選択の余地なく土のコートでゴムのボールを追いかけていた。

中学生になった時にちょうど「行け!稲中卓球部」という漫画が流行っていて、卓球部に入りたいと母に言ったら猛反対されて学生だった母と同じテニス部にさせられたんだけど、今思い返しても基本好きなことをやらせてくれていた母が私のやりたいことに強く反対したのはあの時だけだった気がする。
卓球部に対するイメージが相当悪かったのだろう。偏見がすごいな、と思ったのを覚えている。

けれど不本意ながらも始めたテニスはとても楽しくて、バレエやピアノや当時やっていた習い事を全部辞めるぐらいにはハマった。
正確に言うと、バレエは「シャツや靴下の跡がくっきりとついた手足がみっともないからバレエかテニスかどちらかにしなさい」とバレエの先生に言われてしまったから辞めたんだけど。

そんな6年間続けた部活で一番印象に残っている思い出は、高校最後の年のインターハイのスタメンに選ばれたこと。

「やべぇ。選ばれちゃったよ…。」と思った。

部活内イチ部活をがんばっていない自覚があったからです。
テニスは楽しくて好きだった。練習も試合も楽しかった。狙った通りのコースに打ち返せた時の爽快感といったら。
でも練習には毎日参加していたけど、部活が終わったら居残り練習はせずにすぐ帰っていたし、自主朝練もしていなかった。
練習や試合がない土日は休んでいた。
他のメンバーは休日もよその学校の練習試合を見に行ったり、朝も部活の後も自主練したりしていた。みんな「インターハイ出場」がすべてであるかのように惜しみない努力をしていた。
私がひとり任意の活動に参加していなかった理由は当時の大好きな彼氏との登下校やデートのためだった。

インターハイ団体戦のメンバーが発表された時のあの申し訳ない気持ちと、むちゃくちゃがんばってたのに選ばれなかった友人の涙が忘れられない。
努力すれば報われるはずだったんじゃないんですか、コーチ。と思った。

卒業する時に後輩から寄せ書きをもらった。
うろ覚えだけど、「なんでも軽くこなしてしまう先輩がかっこよくて好きでした」みたいなことを書いてくれてた子がいた。
やっぱりがんばってるようには見えなかったんだなぁ。
がんばったことないからなぁ。

楽しいことをすることを、「がんばる」って思えない。
がんばる、と口にはするけど、がんばってると思ってない。
作品を読んでくれる人に感謝の気持ちも込めてがんばります!って言っちゃってるけど。
適当な言葉が思いつかなくてなんだか嘘ついたみたいになっちゃってごめんなさい。感謝の気持ちと受け取ってください。
今も昔も、がんばってないです。

インターハイのスタメンに選ばれた17歳の夏から、「とてもがんばっている人」に対して申し訳なさみたいなのをずっと抱えて生きてきた気がする。
今住んでるタイの居心地の良さもちょっと関係がある気がするなぁ、なんてぼんやりと。

#部活の思い出

この記事が参加している募集

部活の思い出

サポートしていただけたら腰を抜かすと思います。