AW23 「目の輝きについて」に寄せて
音楽ライブは常に「現在」でなければいけない。博物館に収められているものではなく、「現在」を共に「生きる」ものでなければ意味がないのだ。 綺麗な化石を掘り出して満足しているだけでは、ただの標本だからだ。そして今、僕の音楽は「現在」にない。それは単なる懐古主義的な音楽であるとかそういうわけでもなく、自我保持システムとして自分に組み込まれてしまっているものになっていないかということだ。「現在」、たとえばそれは自分の音楽と時代性の間をどう埋めるか、みたいなこと。それが音楽になければ、内から生まれる情動を発散するためのひとりの音楽になってしまう。そしてその「現在」と「生きる」ことで生まれる景色に今憧れを抱いている。今この時代でできる自分の100点の音楽を追求してみたい。過去の標本でもなく、自我保持の音楽でなく、自分の音楽と「現在」を生きるための音楽。その今を生きている”気”みたいなものを常に保持していくために、アマチュアでも、自分だけにしかできない表現を信じてみてみようと思う。
okkaaa
他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。