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短編「スコール」

「もうすぐ夏が終わりますね。」
君はそう呟いた。

空気がカラッとし始めた時期に大雨が降った。
その大雨は周りの世界の空気を一変させる。
緑道の提灯が灯っていられるのもあとわずか。
夏の終わりを告げるように、雨が降り始める。
ザー、ザー。
日中の灼熱の空気をリセットするかのような雨。
僕の声をかき消すかのような雨。
あの記憶を洗い流すかのような雨。
その音を聴いて、あの夏を思い出す─

君は詩人で詩集を2冊ばかり出している。だけどもちっとも売れない。街で君の名前を見たことはないし、実際のところこの世に存在しているのかどうかすらわからない。
「これでも多少なりとも楽しくやってるよ。」
君はそう呟くことが多かったが、いつもその後の唇は固く結ばれている。押入れの奥のデットスペースにある500部の行き場を失った、世に放たれているのを保留されている本たちを見つめて、歯痒い気持ちになる。この500部の本が放たれていたのなら誰に届いているのだろうか。
タイムラインから下ってきた"表現"は、そのまま脳内に語りかけるわけでもなく、現実世界で弧を描くこともなく、自分の指によって直線でドロップダウンされ、スクランブル交差点の人混みの中で周りが通り過ぎていくように、その表現たちは一瞬で自分の目の前から消えていく。君は思う、自分の前に自分の作品が現れた時に、目の前で弧を描き、脳内に直接語りかけてくるのだろうか。と。
「フィルシーフランクがJojiになったみたいに、お道化た人間の人間性がかいまみえる瞬間、仮面を外した瞬間に人間のそもそもの多様性みたいなものが見える時ってなんかいいよね。なんかそういうのやってみたいな」
そう君がいう。
じゃあ、君は無意識的に二面性にコンプレックスを持っているの?と僕は君に感想を持ったが言葉にはしなかった。
君は何も言わず、窓の外を遠く見ていた。
「二面性のない人なんていないよ」
君がそう答えた気がした。

思えば随分と山の上まで登ってきているようだった。今僕らは山道を車で走っている。僕が運転手で、助手席には君だ。社会人になる手前、最後の人生の夏休みだと言って君は急に僕を連れてきてくれた。(といっても運転しているのは僕なのだが。)「こういうのはね、誰もいない離島に限るんだよ。」そう言って君は名も知れぬ離島に連れてきた。この島は、車なら30分もかからないで一周できる小さな離島らしい。だから山を走ってると思っていても、隣に海が見えるから不思議だ。

「でもそれってさ、多面性なんじゃなくてポジとネガの両極性に引かれてることなのかな。 というか日本人そういうの好きだよね、芸人が明るく振る舞ってる部分の裏には何かがあるんだっていうやつ」そう君が思い直していう。
僕はそれについて何も感想を持たない。君は、何かを話したがっているが、その空気を感じながら僕はただ車を走らせる。
ゆっくりと時間は流れる。四輪駆動の登山用の車はものすごいリズムと衝撃を発生させながら森を突き進んだ。車は島の内部に入っているようだった。

車のFMは電波が途切れ、ナビゲーターの声が途切れ途切れになっていく。誰かが対談をしていたが今となってはどんな内容だったか、どんな人だったかさえ思い出せない。君が自分の携帯で音楽をかけようとしていたけど電波が届かないためか、スマホがただの鉄の塊になったと嘆いていた。

自動車は大きくカーブをし続け、内部から外側へ外側から内部へといった運動を何度も繰り返す。そして街のある方向の外部に自動車が向かうとき、FMのラジオの声が復活する。

「…この映画の主人公は気の弱い人間に見えて、王を殺したり、戦争を起こしてきたそんな物語なんです。」FMは流れ続ける。「さて、この後も最新映画XXの魅力に迫っていきますよ。その前に一曲お届けしましょう…。」どうやら映画の紹介コーナーらしいが、段取りもあるのか不自然に次の話題へ進んでいく。やがてリズム感のある洋楽が流れ始めるが、内側に向かっていく自動車によって、音は途切れ始める。
「あの両面性の話は歴史や文学の物語の系譜にあるってことなのかな」
車は道のない土砂道に突入した。先ほどよりリズムは激しくなり体に伝わる振動も大きくなる。視界が悪くなり始めていた。雑草が空へと点高く伸びきっているせいで、視界を塞いでいた。
「どうだろうね。」
森はやがて音を立て始める。激しい物音がする。雨の音だ。

空気がカラッとし始めた時期に大雨が降った。その雨は徐々に鼓膜全体を覆うような音になり、地面打ち付ける一つ一つの音が集合し、やがて大きな布のように形を形成していった。
君は窓を指差す。窓の外にはカッパを着た郵便配達員がいた。
僕は自動車を止める。お構いなしに、ブレーキを踏んだ。

「こんな雨の日に、びしょびしょになってでも歩いてどこかに配達する気になるの?」
君は配達員に質問する。配達員は君の質問を聞いているが、なんだかよくわからないというな顔をする。
「いいよ、そんな質問ばっかりしないで。」
僕はそう言いながら、配達員のことを知りたくなる。なんでこの人はこんな森の奥底で、歩いて配達をしているんのだろうか。帽子を深くかぶっていて、あまり顔は見えない。
「あの、雨すごいですよ」僕は配達員にいう。
配達員はじっくりと考えている。考えているそぶりをしているだけなのか、本当に考えているのかわからないぐらいよめない人だった。
「ただ私は荷物を届けているだけです。」
その言葉の後に続く余韻は何も漂ってはいなかった。
僕らがここで深掘りしたところで、本当にそれだけなんです。と答えが出てこないような予感がした。

自動車が動き出す。窓が閉じられ、雨の音はフィルターがかかったように、あたたかな音に変わる。高音域が排除され、どんどんと衝撃の音の成分の方が多くなる。

僕は配達員のことを考える。
誰かが誰かに壁を作る時その造られた壁の前で何もできない虚無感に襲われた。真意がブラックホールの特異点のような、覗きたくても覗けない形状をしていて、それが解かれるまでは無限大なのだ。そしてその無限性に惹かれるがまま僕はあの配達員興味を持ち始める。

君は配達員のことを考える。
「こんな大雨なのに届けなくちゃいけない使命があるから、届けてる。ただそれだけ。みたいな感じなのかな。」
君は想像する。そういった使命感があって自分は創作しているだろうか。そんな使命感があったらいいだろうなと思う。届ける相手が明確であればどれだけいいだろうかと考えを巡らす。でも思うだけで、今いる自分の立ち位置は変わらないままだった。大雨の中、誰かに向かって歩き続ける配達員が羨ましくなった。配達員と君の距離はどんどん離れていく。僕がアクセルを踏み続ける。君はあの配達員の距離を自分が調整できないことを知る。その距離は時間が経っていくたびに膨らみ続け、最終的には元の場所が分からなくなるくらい決定的に遠ざかっていくのだ。

「山を下ろう」そう君が言った。突拍子もない提案だった。
「そんなに簡単に順路は変えられないから、当分の間はこの長い一本道をまっすぐいくことになると思うよ。」
多分君は僕のことを好きだったし、たぶん僕も君のことが好きだった。でもいつからか僕らの周りの温度は変わってしまった。
別の道を進んでいるのはお互いわかりきっていた。二人の世界は近いようで遠くて、別のストーリーにいる。世界の読み解き方も、引き出し方も、違う。そして君は決定的な何かに気づいた。僕にはそれはわからない。決定的な何かに気づいたということだけしかわからない。僕がアクセルを踏み続けると、辿り着く結論は決まっている。ということだろうか。
大雨が降ったとき、君は新しい自分を見つけてしまうから、もう雨が降る前の気温とはぴったり一緒になることはできない。

雨が止む頃、車は山を下りはじめていた。
FMの電波が復活する。
君がFMから流れてきた夏の終わりの曲に反応して、仰々しく僕に言った。
「もうすぐ、夏が終わりますね。」

スコール -  okkaaa

スコールの後の風の便り
不安定な季節の言葉のせいさ
雨の音が聴こえなくなる前に 
そっとあなたに伝えよう​

透明な風が運んでくる踊り子
遠くで微かに鳴る風鈴の音
きっと思い出す
あの夏の時の記憶
揺らぐ場面
不安定線​

夏の終わりの夕立が
祭りの音頭のように
耳の奥で鳴ってる
僕らの生温い気温をほどく雨
記憶で鳴る風の音
涙してる目​

「まだ手遅れになってないものもあるはずだよ
ほらみてごらん、ザーッと雨が降っている間に、もうすっかり僕達の周りの温度はどんどん変わっていってしまう。
君はそれをただそれを感じればいい。変わってしまったことを感じるんだ。」

夏はもう
夏はもう
あの夏のスコールライン
あの夏のスコールライン​

スコールの後の風の便り
不安定な季節の言葉のせいさ
雨の音が聴こえなくなる前に 
そっとあなたに伝えよう

スコールの後の風の便り


不安定な季節の言葉のせいさ
雨の音が聴こえなくなる前に
きっと今なら言えるよ

​透明な風が運んでくる踊り子
遠くで微かに鳴る風鈴の音
きっと思い出す
この夏の時の記憶
揺らぐ場面
不安定線


風が吹いて、
涼しさがやってくる。君が言う。
「もうすぐ、夏が終わりますね。」

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