イイ記事かも?
片岡鶴太郎「お金より魂」「この程度でいいのか、と思う場所では成長できない」コネを駆使してでもキツイ場所で修業させた<3人の息子>へ伝えてきたこと
定年退職などをきっかけに生きがいを失い「何をしたらいいのかわからない」「やりたいことがない」と悩む方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。そのようななか「いくつになったって、誰だって、やりたいことや好きなことは見つかります」と語るのは、役者や芸術家など多方面で活躍している片岡鶴太郎さん。その片岡さん「魂が感じる好きなことをやれ」と言っていて――。
稼ぐことよりも魂が歓喜する道へ
3人の息子たちに、小さい頃から常に言ってきたことがあります。
「好きなことをやれ」シンプルに、この一つです。
それも、頭が考えた“好きなこと”ではなく、“魂が感じる好きなことをやれ”です。私自身、好きなことをやってきただけに、特に仕事に関しては好きなことじゃないと続かないと思っていましたから、そう言い続けてきました。
イヤなことを仕事にして、たとえ何千万ものお金を手に入れても、ストレスで大酒飲んだり遊びに大金を使ったり浪費してしまう。そんなことを生業にするのは、できれば避けたほうがいい。
好きなことが仕事にならなかったとしても、好きなことをやれば人間性、精神性を高められる。好きなことは、心を豊かにし、日々を支えてくれます。
だから、「お金よりもまず魂が歓喜することをしなさい」と言ってきました。ちなみに、恋愛でなければ味わえない喜怒哀楽がありますから「好きな女の子をつくれ」とも言ってきました。
恋が実った時の喜び、失恋した時のつらさ、悲しさ。そういった感情は恋愛でしか味わえませんから。また、彼らがまだ恋を知らない子供の頃から、異性に対して湧き上がる性の感情は変なものではない、ということも伝えてきました。
感情を大切にすることを教えていたからでしょうか。彼らが小さい頃から、なんでもオープンに話しあえる関係が築けていました。それは、息子たちの夢についてもです。
コネを駆使してでもいちばんキツイ場所で修業させる
早い年齢で“好きなこと”を見つけたのは、いちばん下の三男でした。中学生になると、「料理をやりたい」と打ち明けられたんです。それも「寿司屋さんをやりたい」と具体的でした。
三男が料理の道に進みたいと言ったのは、幼い時の食体験が影響していると思います。私が芸人として大忙しだった80年代は、料理の世界が華やかに変貌した時期。
東京にはイタリアンやフレンチのレストランが建ち並び、お寿司屋さんも空間デザイナーが内装を手がけたり、中華料理店も間接照明でライティングされたりと、いわゆる町のお店とは違うものが登場してきた頃でした。
私はそういった仕事を手がける知人からお店を紹介されると、子供たちを連れて食事に行きました。お話しした通り、私はひとりでワンルーム暮らし。しかも多忙でしたから、子供たちと食事できるのは週に1度。
その時くらいは美味しいものを食べさせたいと、頻繁にいいお店に連れていっていましたから、三男はその影響が強かったんでしょう。彼は昔から、味に敏感なところがありました。
妻が私のいない時に子供を連れて価格が安めのお店に入ると、三男は「臭い」と言い、妻を困らせたというのです。私はそれを聞いて「それって、もしかしたら味の感性があるのかもしれない」と思いました。
親としてどう応援できるか
彼の中にある“料理”のシード(種)がサインを送ってきたのだ、とピンときましたね。とはいえ、この道で一人前になるのは大変なこと。
いったんはこう伝えました。
「お寿司屋さんというのは寿司を握るだけが仕事じゃないんだよ。カウンターの向こう側のお客さんと会話をするんだ。政治経済をはじめいろいろな話題に対応しなきゃいけない。それも寿司を握りながらやるんだ。だから高校だけは行って一般常識や知識を学んでからにしろ。もし高校を出た時に、やっぱり寿司屋をやりたいんだったら、そう言ってくれ」
高校を出た三男の決意は、変わりませんでした。やはり「寿司屋さんになりたい」と。
これは本気だとわかって、親としてどう応援できるか考えました。そして、寿司そのものよりも、料理の幅を広げるために最初は日本料理全般を学んだほうがいいと思ったのです。
また、それなら一流の日本料理屋に修業に行かせようと。私が知る限りですが、京都の一流の日本料理屋といえば吉兆(きっちょう)。
料理人のご子息も働きに来るでしょうから、何の実績もないいちばんのペーペーで入れば、ただでさえ厳しい修業がもっと厳しくなるはずです。これが私なりのベストでした。
どこでやるかは非常に大切
何かを始めるとき、どこでやるかは非常に大切なポイントだと思います。
「この程度でいいのか」と思ってしまうような場所では、成長できません。ボクシングでいえば、プロが多くいるジムに入ったほうが学べることが多い。実際、私は世界チャンピオンがいるジムを選びました。
もちろん、どこまでそれを“もの”にしたいかにもよりますが、技術にしても根性にしても、一度身に付いてしまったものは、なかなか直せない。最初に見たレベルが、その人の基準になりますから、慎重に決めました。
「吉兆以外は認めないが、行ってみるか?」と聞くと、「行く! 明日から行く」と即答。私は京都吉兆 嵐山本店のご主人に連絡をとり、送り出したのです。
コネを使うのは、親にとってはもちろん、本人にとっても楽なことではありません。三男には「私とご主人の関係を崩すことだけはするなよ」ときつく言い渡しました。
「途中で音を上げて辞めたり逃げ出したりしたら、君だけの問題じゃない。私とご主人の関係が悪くなる。きっちり修業して、一人前になるまでは家に帰ってくるな。途中で帰ってきたら親子の縁を切るからな。その覚悟はあるか?」
「ある」と答えた息子はその後も逃げることなく修業を終え、おかげさまで今では自分の店「赤坂おぎ乃」を開いております。
※本稿は、『老いては「好き」にしたがえ!』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。