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「嫌われたくなかったーvortex講ー」

自分のことを「中身がないなぁ。鏡みたいだなぁ」と感じ始めたのは、いつの頃からだったか。ことあるごとに感じていたのかもしれません。

「誰とでも仲良くなれるタイプだよね」
どこかのグループだけに属する、ということをせず、けれど、どこのグループとも交流がある。大学のキャンパス内で広く浅い社交をしている私をみて、授業の移動中に友人がふと私のことを語った。芯のある軸の通った知性を感じる友人のそんな言葉に対して、促されるようにふと湧き出たのが「私、鏡なだけなんだよね」という返事でした。「なるほどね」と彼女がひと言。その説明を求められるわけでもなく、私も何かを語るわけでもなく、ただ淡々と交わした本音は心地よいものでした。私自身、自分のことをそう感じているんだなと改めて再認識する。そんなひとコマ。

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ときは移り、2020年夏。六本木にある国立新美術館で行われている企画展「MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020」に行ったときのこと。あるフランス人アーティスト(建築家だったかな?)が、破壊と再生を繰り返す東京という都市についてある表現をしていて。残念ながら細かい文章の内容を忘れてしまったのだけれど、私のなかで希望、光、昇華みたいなものを感じていた。

その数日後、「クラニオ・バイオ(頭蓋仙骨療法)」の講座でペアワークを受けているとき、私のなかで「鏡である中身のない自分」に対する癒しが深まったことがあった。破壊と再生を繰り返す東京という都市に、いつしか中身のない自分をなぞらえていた。破壊と再生。そのプロセスのなかに美しさを見出し、光へと、希望へと昇華していく。日和見的にふらふらと生きてきた、私の姿を私自身を初めて受け容れたのかもしれない。

プロセスというものに美しさを感じていていいんだ、と。結果というものにこだわらず、自分の生き方、その過程にこだわっていたいという。それでいいんだ、と力が抜けていった。目的地まで行くとき、私は遠回りになっても気持ちがいい道を選ぶ。車でも歩く時でも。そこに大した意味や結果がなくてもいいのだ、と。

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もはや恒例。大幅に話が逸れました。そもそも「vortexという器で生きること」について書こうと思っていたのでした。以降、「holos.QUANTA」というクローズドのコミュニティでは更に詳細を綴ったこともあるので内容はやや被るかもしれません。

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最近では界隈の方々から、ことあるごとに「vortexまりこ」と呼んでもらっていますが、「いいものも悪いものも拡大させる体質」に私自身がうまく付き合えずに長らく生きてきました。同じような体質の方々も多くいらっしゃると思うので参考になればいいな、と。

私が絡むことで大きな渦を生むことは昔からありました。20代後半は比較的パリピでしたから、友人たちと和装やハロウィン仮装のイベント(ハロウィンも今では都内で浸透しているイベントですが、当時は六本木で仮装していても浮くくらい珍しい時代でした)を企画して、麻布界隈のホテルや大箱を借りては100名、200名など集めてよく遊んでいました(遠い目)。小学生の頃で言うと、私のなかで図書館で本を読むのがブームになると、なぜかクラスでもそのブームが始まり、自転車で連れ添って週末に隣町にある大きな中央図書館ヘ行くのが流行りに。当時の担任に感謝されますが、私は大して嬉しくもなく「なんでみんなついて来るんだろう。図書館にみんなで行っても本はひとりで読むものなのに」と感じていたのを覚えています(遠い目)。

これらは記憶にある特徴的なvortexなエネルギーの現象化ですが、生まれもったエネルギーの性質なのでやめたくても変えようがありません。小さい頃から常に何かしら同じエネルギーを振り回しては現象化させていました。いいことの場合はいいですが、トラブルが起これば拡大します。大きく火を燃やしていきます。さまざまな事象が起きていくなかで私は無自覚のうちに次第に「嫌われたくない」「目立ちたくない」という感覚を育てていきました。そして「できるだけ存在感を消す」ということも同時に覚えていきます。

vortex現象は、もちろん仕事の現場でも起こります。いいことを拡大していくには、周囲にとっても私にとってもとてもハッピーな連鎖が起こりますが、残念なことにvortex(渦)というエネルギーにはいいも悪いもジャッジするものはなく、ただ単にすべてを拡大していきます。私に関わることでトラブルが拡大(何かがトリガーされる)ことも少なくありませんでした。お金に不安を感じている人が近づくと、それを知らせてくれる金銭面のトラブルが現象化。不安による依存心が強い人が近づくと、更にその感覚が倍増。イライラしている人が近づくとイライラも倍増・・・。負のループです。私は、それらの根源がどんな動機からくるかわかるものの、その大元は誰かしらのマインド、潜在意識。勝手に変えることはできません。ただ見守るのみ。課題や改善は本人が気づき、決めていくことしかできない。そんな見守りしかできないことに常にもどかしさを感じていました。『助けたいというエネルギーのトラップ』でも書きましたが、誰かの人生を変えようというのは傲慢でしかなく、そのもどかしさは私自身のエゴの表れでもありました。

また潜在的にトラブルを起こしたい人(わかりやすく自分の現実と向き合いたいと潜在意識レベルで感じている人)が私に引き寄せらせるということは、同時に私自身がそれを引き寄せているのだ、と改めて感じていました。「私自身が整う、が最優先!」ということをどんどん意識するようになっていきました。いま思えば当時はまだまだすべての事象を引き寄せる自分を責め続けていたように感じます。私のネガティブで暗い陰の部分が、それらすべてを引き寄せているのだ、と。自分の陰を消し去ろうと、受け容れてもいない状態です。そして引き寄せる力の強い自分に対してもどこか厄介者扱い。なんでこんなにいろいろ引き寄せるのだろう、面倒くさいヤツだな、と。

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そんなことを感じながら苦しさを感じているとき、私は2020年、クラニオ・バイオのクラスでMOTOKOさんに出会い、私自身のその「引き寄せる体質」が生まれもった「vortex体質」が大きく関わっていることをハッキリと再認識していきます。自分が薄っすら感じていたことをわかりやすく言語化し、理解してもらえる心地よさたるや、すごいです。「いいものも悪いものも拡大されるため、下心をもって近づくとそれが拡大され、澄んだ心で近づくとそれが拡大される。パワースポットと呼ばれる場所や神社などと同じ。そこにいい悪いはなく、ただその拡大するというvortexのエネルギーの影響が出ているだけ」ということ。今まで私の周りで起きがちだった事象の仕組みが改めてクリアになる感じがあり、かなりホッとする感覚もありましたが、同時に「やっぱり私自身が整うことが超大事になってくるじゃん!」という気持ちや「あまり人と会いたくなくなるな」という引き篭もりたい気持ちが強まったのを覚えています。どちらかと言うと、まだ私自身の癒しが不十分で、二元的な視点も強い状態ですね。

そして2021年1月から「シータ・ヒーリング®︎(瞑想的な手法を用いた対話型のセッション)」の講座を通じて自分自身のエゴティズムと向き合い、不要になった重いエネルギーをどんどん手放すことができ、だいぶ楽になってきていた2021年秋。以前までは海外に拠点を作ることに躍起になっていましたが、本来的な望みを突きつめると「生まれもった器(vortex)を最大限に使えるのであれば、それがどんな手法でも、なんでもいいなぁ」という緩やかで穏やかな感覚になっていました。海外に拠点を作るヴィジョンや映像は変わらず視えるものの、そこへの焦りや執着がまったくなくなり、いずれ必ずできると信頼して安心している感覚に。いつでもいいよ、と。変わらなくちゃ!今すぐやらなきゃ!という気負いがなく、より「イマココ」である感覚が強まり、想いのエネルギーの質が劇的に変わったのです。

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そうしてvortexという器の概念を再認識していた頃、MOTOKOさんから改めて「vortexまりこは思っている以上に人から攻撃を受けているし、嫌われているよ。妬みや恨みとか。でも本人(私)は気づいていないから大丈夫!」と言われます。音羽の出版社へ向かうため、有楽町線に乗っているときのことでした。車内での突然の切れ味のいい吹き矢に「え!大丈夫って何??いや、いや、もう少しオブラートに包んでよ〜」と言いつつ、「あぁ、私は気づいていないなら、薄ら気づいているやつはやっぱりそうなんだ(嫌われているんだ)・・・」とじわじわと落ち込みます。今ではそれを事実として自認できるネタのような感じなのですが、当時はそのことに私自身がショックを受けているということに気づき、そこから半月ほどvortex体質に関する向き合いワーク。私はずっとずっと「嫌われたくなかったんだ」と。もはやプロセスの内容は覚えていませんが、これは私自身の生まれもった体質とうまくつき合うため、自分自身が本気でアップデートするためには、めちゃくちゃありがたいひと時でした。

MOTOKOさんには「人と距離を保つこと」「基本的にあまり人と会わなくていいこと」「ビッグスターだと(自分のことを)思って振る舞うこと」というアドバイスをもらいます。「ビッグスターってなんだよ」って思いつつ、セルフイメージを変えるべく、脳内でビッグスターを召喚し、彼らがやりそうな行動パターンをイメージ(言葉にするとなかなか笑えますが、私はいたって真剣。真面目にやりました。ミック・ジャガーや明石家さんま、アラン・ドロン、ジョルジオ・アルマーニなど、各種ご縁によりリアルに会ったことあるスターたちを主に召喚。なぜかおじさんオンリー)。自然と手にとるファッションアイテムが蛍光色になったりと服装が派手めになっていったのも、この頃です。無意識的に嫌われない服装を選んで生きてきたんだなぁと実感。本当は派手なキャラものの服を着たかった、という幼少期の本音を思い出すことにも繋がりました。

今ではその内容はよく覚えていないのですが、当時、別の方とのセッションでも同じような内容と向き合うことになり、「人と仲良くしないこと」「同じクラスだからって仲良くしないこと」「誘われても気軽にお茶やランチに行かないこと」「自分のやりたいこと、表現することで人に嫌われるなら、積極的に嫌われましょう」「強気でいましょう」「想いをもつことの強さを大切に、確かに歩むことの強さを大切に」ということなどなど。そんなことを深く意識に刻んでいくことになります。

MOTOKOさん曰く、シータ・ヒーリング®︎の創始者ヴァイアナもvortex体質でよくトリガーされる(していく)ことが多かったらしいのですが「私に会いにくるときは自分ごと(の問題)が終わってからにしてね」と周囲に言っているそうです。そしてvortexという広げる役割のエゴティズムとうまくつき合うことが大事、だとか。いついかなるときも、自分自身がいかに自分のエネルギーに気づいているか、だなぁと今でも心底感じています。

これらのプロセスを経て、私自身のマネージメントをする立場としての役割がどんどん細分化され、最近では「企画」や「キャスティング」というよりコアな部分だけに削っていっている感じます。もしかして、私自身が手を出すとうまくいかなくなることまで私は自分でやってきたのでは?と。そしてようやく周囲の人たちを頼り、今までは「できるからやってきたこと」に対して手を動かすことをやめ、それらが得意そうな方々に相談し、完全に信頼して「丸投げする」ということを少しずつ実践してみるようになりました。常にそのプロセスにあると感じていますが、チームが自然と有機的に作られていく、その過程にいる感じがしています。相変わらず波の影響は強いので、界隈にいると鏡をみるように起こる現象を通して自分のことを知ることになると思います。そんな波が大きめな近いところで巻き込まれてくださっている仲間たちやみなさんには日々、感謝しかないです。

holos.QUANTAやQUANTAの各種プログラムやイベントを通じて、よかったら緩やかにでも繋がっていてね、と本気で思っています。こちらからあえて誰かの懐まで深くまで踏み込むことはしませんが、時に沸き起こる現象によって自分のことが見えすぎて向き合うのが辛くなったら少し遠くまで距離をとってね、みんなが自分にとって心地よい距離感でいようね、と。人づきあいや社会との関わりにおいて、すべてが自分の写し鏡のように存在するとしたら、心地よいと程よい刺激を取り入れながら、軽やかに変容を楽しむことだってできると感じています。人間関係については愛や祈りに似た感覚で、遠巻きにホールドするようになりました。

いいも悪いも拡大する。そのエネルギーの影響を、私自身は、周りにいる方々の現象を通してでしか実感をすることができません。渦の中心は凪。無風です。私は自分自身のエゴティズムを手放すことで、起こる現象に関して反応するということはどんどん少なくなっていくのだと感じています。長らく自分のことを「中身のない鏡」と感じていたけれど、気づけばその意味合いが私のなかで変わっていました。現象化されるものを拡大することで大きく映し出す、という鏡という役割であることはきっと変わりない。これからも変わることはない。それが生まれもった器の生かし方なのであれば、それがよりよい形で使えるような環境や場を仕組みとして生み出したり、その場を調律したり、私自身の半径5mにはゴキゲンな人たちだけを迎え入れるということを意識的に行い、そのゴキゲンなバイブスを拡大させたり、と。エネルギーをどこで回すのか。そんなシンプルな場の力についても気づくきっかけとなりました。

大きな向き合いだったし、一度でこう変容した、とか、アレがコウでコウなった、という単純な方程式で説明できないのですが、セルフイメージを本来的なものにアップデートしていくと本当にどんどん楽になっていくのを感じています。

人と人の「間」で生きる。気づけば自然とやっているものでもありながら、ときに疲れ果てては逃げ出したくなったりしたこともあったけれど、もはやそれが役割なのだと改めて感じています。きっとプロデュース、ディレクション、企画職、マネージメント、管理職、人事など、「人」と関わることの多い仕事をされている方、それが向いてはいるけれどしんどいと感じている方、きっと私と同じように人と人の「間」でエネルギーを回すこと、そのvortexなエネルギーを生かすことが求められる方も多いと思います。そんな方々への応援になったら、という気持ちで、相変わらずまとまりもないままですが私自身の近年のプロセスを書いてみました。

6,000文字超え!過去最高に長い。。読んでくださり、ありがとうございました。

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写真は #QUANTAリトリート伊勢 の最中に三重県にある「瀧原宮」を訪れた際のもの。強力なvortexの磁場で螺旋状になった“ねじれ杉”。引き寄せる重力が半端なく、体感的にも身体が引き寄せられ、周囲の杉もこの杉の方へ傾いていました。ちなみに「瀧原宮」は穏やかで優しい母性を感じるバイブスで個人的には伊勢神宮より好きでした。



いただいたエネルギーは大切に循環させていただきます🙏✨