昔の沖縄の路線バス

昔の沖縄本島の路線バスに関する資料がたくさん出てきたので整理中です。 https://…

昔の沖縄の路線バス

昔の沖縄本島の路線バスに関する資料がたくさん出てきたので整理中です。 https://twitter.com/bus_okinawa

最近の記事

105番・糸満(南部病院)線の歴史を調べてみた

沖縄県立南部病院は、1982年4月1日に沖縄県糸満市真栄里に開院した県立病院である。2006年4月1日からは民間に譲渡され、社会医療法人友愛会南部病院となったのちに、2020年8月3日に豊見城市に移転し、2024年6月現在は豊見城中央病院となっている。 約40年間もの間、糸満市真栄里に存在した総合病院であるが、県立南部病院時代に、約10年間ほど路線バスが乗り入れた時期が存在した。乗り入れていたのは、琉球バスが運行していた105番・糸満(南部循環線)線である。 開院1年以内に

    • 移転を繰り返した那覇交通の本社

      那覇バスの前身である那覇交通は、那覇市西に本社を置いていたが、この本社は1976年からの使用であり、6代目の本社である。 創業時の初代から6代目に至るまでの、那覇交通の本社の移転の歴史を調べてみた。 4年で3回移転した本社公営バスを前身とした沖縄バスや、沖縄協同バスを前身とした琉球バスや東陽バスは、前身の事業者から土地や建物を引き継いで誕生したが、那覇交通は前身の事業者が存在せず、初代社長である宮城善兵氏がゼロから設立したバス会社である。そのため、規模の拡大に合わせて営業用

      • 120番・空港リゾート西線の歴史を調べてみた

        那覇空港と名護バスターミナルを結ぶバス路線は、高速道路経由の111番/117番・高速バスのほかに、一般道路経由の120番・名護西空港線が存在する。このうち後者は、那覇空港から国道58号沿いの各バス停に停車しながら、名護に向けて北上していくが、かつて起終点は同じながら、途中のリゾートホテルの最寄りバス停を中心に停車する「120番・空港リゾート西線」というバス路線が運行されていた。 1992年に運行開始120番・空港リゾート西線の運行開始は、1992年8月のことである$${^1

        • かつて運行されていた浦添市内一周線

          浦添市は、那覇市に隣接する県内第4位の人口を有する都市であるが、第2、第3の都市である沖縄市、うるま市に向かうバス路線のルート上にあることから、路線バスの路線数、運行本数でみれば、那覇市の次に充実しているものと思われる。ただそれは点と線での話で、多くのバス路線が、幹線道路である国道58号と国道330号(バイパス)に集中しているため、面的には路線バスが走っていないエリアも多く存在し、市内の4割は公共交通空白地域である$${^1}$$。 この状況は昔から変わらなかったようで、19

        105番・糸満(南部病院)線の歴史を調べてみた

          豊見城団地と路線バスの歴史

          豊見城市にある豊見城団地は、かつては県内最大規模の公営住宅であり、最盛期には1,195戸の住宅を有していた。 かつては、この豊見城団地を終点とするバス路線が運行されていたが、後に豊見城団地は途中経由地となり、現在は、那覇市と糸満市を結ぶ446番・那覇糸満線の一部便(豊見城団地経由)が経由している。 豊見城団地について「豊見城団地」は、豊見城市平良に位置する公営住宅であり、元は1969年~1976年に琉球住宅公社・沖縄県住宅供給公社が建設したものである。建設から約30年が経過

          豊見城団地と路線バスの歴史

          かつて運行されていた深夜バス

          残業規制強化の2024年問題等により、県内の路線バスの運行本数は減便傾向であるが、減便と共に最終便も繰り上がっており、2024年5月現在の那覇バスターミナル発の最終バスは、23番・具志川線の22時00分である。 かつては、今よりも1時間以上も遅い23時20分に那覇バスターミナルを出発し、日付を跨いで24時37分に具志川バスターミナルに到着する便が運行されていたことがあったが、それよりもさらに遅く、那覇バスターミナルを24時以降に出発する「深夜バス」が運行されていたことがあった

          かつて運行されていた深夜バス

          7番・空港首里城線の歴史を調べてみた

          那覇市首里にある守礼門は、かつて「日本3大がっかり観光地」の1つとなっていた。これは守礼門の先の本殿が存在しなかった(復元されていなかった)ためであるが、首里城本殿が復元され、汚名返上のきっかけとなる首里城公園の開園は1992年11月3日のことである$${^1}$$。 この開園と同時に、那覇市中心部からアクセスするバス路線が運行を開始していた。 1992年に運行開始7番・空港首里城線の運行開始は、1992年11月3日である$${^2}$$。冒頭でも書いたように、この日は首里

          7番・空港首里城線の歴史を調べてみた

          81番・源河線の歴史を調べてみた

          沖縄本島のバス路線に付与されている系統番号にはある程度の規則性があり、1970年代に付与された当初は、65番~81番が北部支線、82番~88番が南部支線となっていた。この当時の北部支線で最大の系統番号であった81番のバス路線が今回紹介する「源河線」である。 なお、1990年代以降の北部支線の相次ぐ廃止により、2024年5月現在、北部支線の最大の系統番号は78番・名護東部線となっており、以降の番号である79番は欠番、80番は那覇と屋慶名を結ぶ与那城線、81番は南部支線の「西崎・

          81番・源河線の歴史を調べてみた

          玉泉洞と路線バスの歴史

          「玉泉洞」は沖縄県南城市にある鍾乳洞である。「おきなわワールド 文化王国・玉泉洞」の園内にある観光施設の1つに過ぎないのだが、園内のメイン施設が「玉泉洞」であったためか、最寄りバス停名は「おきなわワールド前」でも「文化王国・玉泉洞前」でもなく、過去から現在に至るまで「玉泉洞前」である。 開園は1972年4月28日のことであるが、開園当初からバス路線が運行されており、2024年4月現在でも、4路線がアクセス路線として存続している。 開園当初は54番・前川線が唯一のアクセス路線

          玉泉洞と路線バスの歴史

          中城湾港マリンタウンへ路線バスが走っていた

          「中城港湾マリンタウン」とは、沖縄県西原町と与那原町にまたがった埋立造成地である。1993年から造成事業が開始され、2007年より埋立地の分譲が始まったが、その直後の2008年3月1日より約6年間のみだが路線バスが走っていた。 東陽バスが乗り入れを開始乗り入れたのは東陽バスである。2008年3月1日から「57番・那覇マリンタウン馬天線」と「59番・那覇マリンタウン線」の2路線の運行を開始した。 57番・那覇マリンタウン馬天線57番・那覇マリンタウン馬天線は、那覇バスターミ

          中城湾港マリンタウンへ路線バスが走っていた

          37番・知念線と37番・那覇新開線の歴史を調べてみた

          2024年2月現在、37番という系統番号は、東陽バスの「那覇新開線」に充てられている。この路線は、那覇バスターミナルから与那原、新開を経由して、南城市佐敷の馬天営業所または南城市役所へ向かう路線である。 だがかつては、37番は「知念線」という路線で、那覇バスターミナルから与那原、新開を経由して、南城市知念へ向かう路線であった。端的に書くと、「37番・知念線」を南城市佐敷止まりとした路線が「37番・那覇新開線」であり、これを聞くだけだと、「知念線」を路線短縮する形で「那覇新開線

          37番・知念線と37番・那覇新開線の歴史を調べてみた

          かつて那覇市首里に存在した市内線専用のバス停

          沖縄県那覇市には、那覇市内線専用および那覇市外線専用のバス停が存在する。具体的には国際通りにあるバス停のことであり、「てんぶす前」「松尾一丁目」の2バス停は市内線専用、「牧志」「松尾」の2バス停は市外線専用のバス停となっている。 2024年2月現在はこの4バス停のみとなっているが、かつては那覇市首里にも1ヶ所だけ、市内線しか停車しない市内線専用バス停が設置されていた。 市内線専用だったプール入口バス停市内線専用バス停は、那覇市首里桃原町に設置されていたプール入口バス停である

          かつて那覇市首里に存在した市内線専用のバス停

          36番・糸満新里線の歴史を調べてみた

          糸満新里線は、沖縄バスが運行するバス路線であり、沖縄県糸満市と南城市を結んでいる。路線名に含まれる「新里」は南城市にある地区で、経由地の1つであるが、かつては「新里」が終点だった時代もあり、さらに遡ると、運行開始当初はさらに手前の「与那原」が終点であった。 1957年に運行を開始1957年8月3日に、糸満市の糸満バスターミナルと与那原町の与那原を結ぶバス路線として運行を開始した$${^1}$$。この当時の路線名は起点と終点に由来して、糸満与那原線であった。想定される運行ルー

          36番・糸満新里線の歴史を調べてみた

          かつて南城市に存在した久手堅連絡所

          南城市は、2006年1月1日に、佐敷町、知念村、玉城村、大里村の1町3村が対等合併して誕生した市である。 このうち、旧・佐敷町には、沖縄バスの南城出張所(佐敷町新里)、東陽バスの場天営業所(佐敷町津波古)の2営業所、旧・玉城村には、琉球バス交通の百名営業所(玉城村百名)が設置されているが、かつては、旧・知念村にも東陽バスが「久手堅連絡所」というバス営業所を設置していた。 旧・知念村久手堅に設置東陽バスの久手堅連絡所は「沖縄県南城市知念字久手堅543」に設置されていた営業所で

          かつて南城市に存在した久手堅連絡所

          59番・新垣線の歴史を調べてみた

          沖縄県中城村に「第二登又」というバス停がある。「第二登又」があるので「第一登又」またはただの「登又」というバス停が前後にありそうだが、2024年2月現在のバス路線図では見当たらない。 「第一登又」はかつて東陽バスが運行していた59番・新垣線という路線が停車していたバス停であった。同路線は2005年3月末をもって廃止されたため同日をもって「第一登又」は廃止となったが、他の路線も走っていた「第二登又」のみが現在でも残っている状態である。 今回はこの廃止された59番・新垣線の歴史に

          59番・新垣線の歴史を調べてみた

          沖縄本島にあるバス停の改称履歴を整理したい

          (※2024年2月25日に☆のバス停を追加・情報更新) 熊本県のバス事業者である九州産交バスは、バス停の新設や改称、廃止を一覧にまとめたWebページを公開している。 これの沖縄本島バージョンを作ってみようと思ったのが、このページ作成の発端である。どうせ作るのであれば、ここ数年ではなく、かなり古い時代からのをまとめようと思ったが、遡りすぎると収拾がつかなくなるため、取り敢えず平成以降(1989年以降)を基本に整理してみることにした。 なお、バス路線の改廃とは異なり、バス停

          沖縄本島にあるバス停の改称履歴を整理したい