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No.1223 根アカの志

もう一度、聴きたかった!
何をか?
財津一郎さんが切々と語る、地主の子ども時代の壮絶な虐め体験談を!
 
何十年か前のTV番組で拝聴したその彼の実感の籠った体験談は、画面の中で聴いていた人々だけでなく、画面を観ていた私たちもハンカチを濡らさずにはおられませんでした。
 
数日前に放送されたNHKアーカイブス「あの人に会いたい」は、財津一郎さん特集でした。私の記憶していた話ではありませんでしたが、子ども時代に彼がいじめられていた時に恩師から学んだという思い出話をしました。
 
「先生が、ある日ね、裏の麦畑に行って『麦踏もう!』って、一緒に踏んでくれたんです。サク、サク、サク、サク、2人の踏む音がねぇ二重唱になってね、『いじめられているやつこそ、それを乗り切った時には強うなる。強く踏んだ麦ほど立ち直っていい実を実らせるとよ。それを将来の糧にしろよ。』と言ってくれたんです。」

財津さんは、その後の俳優や喜劇人生で、先生のこの言葉を支えにがんばることが出来たと回顧しています。恩師の名は、高橋伯夫。まさに「伯楽」だったのでしょう。
 
また、人生のピンチが3つあるという話もされました。
「若いころに何回かある恋のピンチ、中年になっての仕事上のピンチ、そして、歳をとってからの健康のピンチです。」

1995年(平成7年)、61歳の時に脳内出血禍に遭いましたが、翌1996年の大河ドラマ「秀吉」で竹阿弥(ちくあみ:秀吉の生母・仲の再婚相手の武将)役としてカムバックし、みごとに演じきりました。傲慢になり思いやりに欠ける秀吉を、気概を持って叱りつける義父・竹阿弥の愛の忠言は、感動を呼びました。
 
彼は、周りが暑苦しくなるほど熱い血をたぎらして演じ語ります。前に出て自己主張し、引くということをしません。だから、順風満帆という訳にはいきませんでした。
「藤田まことのように、相手を持ち上げてぐっと引くことも大事だ」
と諭されることもあったそうです。それでも、彼はこう言うのです。
 
「人生は、一歩、二歩、三歩引かなきゃいけない時がある。これ以上引いたら落ちるというときに、切り返してドンと踏み出す時には、根アカの志が支えるんですね。」
 
熊本出身の財津さんは、みずからを形成する「ネアカ」(根明)の性格が幸いしたと言います。
「根アカこそ、神が人間に与え給うた最高の武器である。そう言い切ってしまいたい。」
と番組で結びました。
 
他の追随を許さないコメディアンの世界を構築した男、余人の及ばぬ世界に生きた男は、2023年10月14日、89歳で幽明境を異にしました。
「何でも自分でやってしまう人。式の段取りは全部決まっていた。戒名もついていた」
と後に息子さんが明かしたそうです。

子や孫に心配を掛けたくないと生前整理もやっていた根アカの男は、
「人生最後のホームストレートをきれいに駆け抜けたいんです。」
と取材陣に語ったそうです。その言葉の通り、最後まで人々を楽しませて財津一郎(本名:財津永栄)の志を貫き通しました。

私には、「財津一郎」は「財津逸郎」と聞こえます。


※画像は、クリエイター・そのちょうしさんの、タイトル「犬吠テラステラス」の1葉をかたじけなくしました。財津一郎さんの、
「ピアノ売ってちょーだい!」
の明るい声が聴こえるようです。お礼申し上げます。