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No.1062 二人の夫

約3,000篇もの彼の詩のほとんどは、短い詩です。その詩集『秋の瞳』(1925年)の中の10番目に次の詩があります。青空文庫で読ませてもらいました。

   うつくしいもの
わたしみずからのなかでもいい
わたしの外の せかいでもいい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが敵であっても かまわない
及びがたくてもよい
ただ 在るということが 分かりさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ

詩集『秋の瞳』より

その詩集『秋の瞳』は、重吉が読者に宛てたこんな「序」から始まります。

 序
 私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。

詩集『秋の瞳』より

その心の詩人・八木重吉(1898年~1927年)は、1922年(大正11年)に島田登美(17歳)と結婚。その4年後の昭和2年に重吉は結核のため29歳の若さで亡くなりました。
 
2人の子女、桃子と陽二をもうけましたが、1937年(昭和12年)に桃子(14歳)、1940年(昭和15年)には陽二(15歳)が相次いで夭折しました。登美の悲しさは、はかり知れません。
 
残された重吉の妻登美は、1944年(昭和19年)から、4人の子を抱えて妻に先立たれていた歌人・吉野秀雄(1902年~1967年)の家事を手伝うようになりました。そして、いつしか、その縁で再婚しました。
 
その吉野秀雄の歌がイイんです。次の2首は、大河内昭爾著『心に遺る言葉』(邑書林)に学びました。
「重吉の妻なりしいまのわが妻よためらはずその墓に手を置け」
重吉の25回忌に、その生家を訪れた時の作だといいます。
また、重吉と二人の子を亡くした妻のことを、こうも詠んでいます。
「うつしよの大き悲しみを三たびまで凌ぎし人は常にやさしき」
 
その妻登美は、1999年(平成11年)95歳で長寿を全うし、二人の夫の元へ旅立ちました。


※画像は、クリエイター・誠さんの1葉をかたじけなくしました。その説明に「瑠璃光院の2階から見た景色です。 静けさの中に紅葉が輝く。」とありました。言葉をなくす景色です。お礼申し上げます。