見出し画像

No.1222 希い望む心もて

久留島武彦(1874年~1960年)は大分県玖珠郡森町出身の児童文学者です。

口演童話に力を入れ、1903年(明治36年)に日本初の童話会を開いたり、1907年(明治40年)には専門児童劇団の東京お伽劇協会を設立したりするなど、児童文化運動を全国に広めた人物です。
 
久留島武彦記念館は玖珠町森の三島公園内にあり、「日本のアンデルセン」と呼ばれた武彦翁を顕彰する博物館です。2017年(平成29年)に開設されたその記念館の初代館長に就任されたのが、久留島武彦や巖谷小波などを研究された金 成妍(キム ソンヨン)さんです。
 
先日、金館長のエッセーを読み心に刻みましたが、多くの方々にお目通しいただければと思い、厚かましくもこの挙に出た次第です。

 風光る季節がやって来ました。当館には、別府観光の父と呼ばれる油屋熊八が亡くなる1年前に残した手形の色紙がありますが、そこには「七二青春」というハンコが押されています。命が尽きるその日まで、青春として生きるとはどういうことでしょうか?
 サミュエル・ウルマンの詩にそのヒントがあるような気がします。
 「青春とは人生のある時期をいうのではなく、心の様相をいう。人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」(「青春」という名の詩)
 青春を生きる大人について考えていましたら、ふとイチロー選手のバットを作った職人、久保田五十一(いそかず)氏が思い浮かびました。「木を見ると、良いバットになりそうな木は輝いています」と言った彼の言葉が印象的でした。「ガリバー旅行記」を書いた作家は、「誰にも知らない土地があるように、人間にも本人が気付いていない鉱脈がある」と言いましたが、先生が生徒を見た時に輝いているところを見つけて育てていくのも同じことだと思います。年齢に関係なく青春を生きている人は、一人一人の持っている鉱脈のきらめきを見つけられる人なのです。
 この新緑が芽吹く季節、「希望」なるものを見つけて、私たちもきらきらと光る刻(とき)を過ごしましょう。

大分合同新聞「灯」欄「風光る」(2024年4月27日)より
因みに、油屋熊八(1863年~1935年)は、「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案した実業家で、広域観光の開発者として知られています。

こんな私にも、「本人が気付いていない鉱脈」があるのでしょうか?期待薄のように思われますが、騙されたつもりでその鉱脈を探してみようかと、71歳の誕生日の今日、思いをあらたにしているところです。
 
第75回日本童話祭が、5月5日(日曜日)の「こどもの日」に開催されます。今年は、久留島武彦翁の生誕150年に当たり、大分県玖珠町森にある三島公園童話碑前特設ステージをメイン会場として様々なイベントが予定されているそうです。ご案内まで。


※画像は、クリエイター・キータン🦋さんの、タイトル「Mono:⚡:鯉のぼり」の1葉をかたじけなくしました。歌を口ずさみたくなる画像です。お礼申し上げます。