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No.1238 「阿」の字に思う

5月12日は、兄嫁の3回忌、そして父の50回忌の法要が菩提寺で営まれ、カミさんと一緒に出席しました。
 
和尚さんが、読経する中で「アエン五十回忌」の言葉を2回述べました。初めて聴いた言葉だったので「??」と思い、調べてみたら「阿円五十回忌」のことでした。
 
「阿円忌とは、50年経って一つの円(真なる仏の世界)のなかに故人が入られたという意味で、円が完成し、仏さまからご先祖さまへなられたのだという、回忌法要の大きな区切りと言えるでしょう。」
という解説がありました。仏様から家の守り神になるのだとも聞きました。
 
鴨長明(1155~1216)が著した随筆『方丈記』には、京都・仁和寺の僧侶であった隆暁法印(1135年~1206年)が、信じられない程の多くの人々を供養した様子が書かれています。
 
隆暁法印は、平安時代末期の養和の大飢饉(1181年~1182年)で行き倒れた数多くの餓死者の額に、梵字で「阿」の字を書いて回ったとあります。以下は、その一文です。
 
「仁和寺に隆暁法印といふ人、かくしつつ、数も知らず、死ぬる事をかなしみて、その首(かうべ)の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。人数を知らむとて、四、五両月をかぞえたりければ、京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀よりは東の、道のほとりなる頭(かしら)、すべて四万二千三百余りなんありける。」
つまり、隆暁法印は、2カ月の間に平安京の東半分で4万2300人もの死者に仏縁を結んだというのです。1日に約700人、1時間に約30人の勘定ですが、移動しながらのことであり、想像を絶する行いだと思います。
 
「阿」は、密教で生命エネルギーの根源である大日如来を表す文字だといいます。位牌の一番上に書かれる字で、人は「阿字の子」、つまり仏の子として生まれてきて、死ぬとまた「阿字の古里」、つまり仏のもとに返っていくと考えられていたのだとか。仏教の命のありようを表している大事な文字のようです。
 
「阿円」も最初から最後まで50年で一巡する、その初めを「阿」としたのでしょうか?度し難き衆生の私のような者でも、額に「阿」の字をいただくことで仏様のおそばに侍ることが出来るのでしょうか?
 
アーサー・クラーク著「2001年宇宙の旅」の中で、
「時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が地球上に足跡を印した。」
とあるのだそうです。もしそうなら、すでに1千億以上もの神々が存在するわけですから、「八百万の神」どころのさわぎではありません。星の数ほども神々はいるのでしょう。
 
和尚さんの有り難い回忌供養の言葉から、あれこれ考えさせられました。
 
「膳に芋茎五十回忌は祝のごと」
 皆吉爽雨(1902年~1983年)
 
供養が終わって、兄が出席者に持たせてくれた引き出物には、お祝いの紅白餅が入っていました。