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No.768 今も心に残る、食べられなかったカレーのお話

1995年(平成7年)1月17日の朝、マグニチュード7,3という大地震が兵庫県南部に発生しました。あの日から28年もの歳月が流れたといいますが、多くの方々が、記憶の褪せることのないまま、それでも前を向いておられるのではないでしょうか。 
 
この震災の記事で17年後に書かれた忘れられないコラムがあります。ご一読下さい。
 
タマネギに涙はつきものである。〈玉葱の皮剥ぐ時に易々と人にも見せて涙流せる〉(富小路禎子)。別に理由があっての涙を、タマネギにこと寄せて流した経験は歌人に限るまい◆17年前の1月16日、兵庫県芦屋市の米津漢之(くにゆき)君(当時7歳)と深理(みり)ちゃん(同5歳)は生まれて初めて、翌日の夕食用に二人でカレーを作った。兄と妹はこの記念すべき合作のカレーを口にすることができなかった。二人は翌朝の地震で亡くなる…◆「私には会ったことのない兄と妹がいます」。2年前、震災の追悼式典で小学6年生・12歳の米津英(はんな)さんが挨拶した。「我が家では毎月17日にカレーを食べます」。今夜もそうだろう◆阪神大震災からきょうで17年になる。歳月は流れても、親御さんの耳には幼い二人がはしゃぎながら料理をする声がいまも聞こえるであろうことを思うとき、タマネギをむくお母さんの目頭は想像するまでもあるまい◆カレーか、ハンバーグか、亡きわが子の好物で献立を考えているお母さんは多いことだろう。1月17日のタマネギは、3月11日のタマネギは、普段にまして目に染みるはずである。
(2012,1,17「讀賣新聞」編集手帳より)

「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に及(し)かめやも」
「どんな金銀財宝だって子供には及ばないだろう」と『万葉集』で山上憶良は詠みました。その宝物以上の大切な幼い兄妹を震災で奪われてしまったご両親は2年後、英(はんな)さんをさずかりました。そして、あの追悼式でのスピーチを行ったのです。
 
亡くなったお兄さんの漢之君は、「あのね帳」を遺していました。「先生、あのね」で始まる学校の連絡帳です。そこには、1995年1月16日にカレーを作ったことが生き生きと書かれてあったといいます。たまねぎを切って目が痛かったこと、お母さんににんじんの乱切りを教わったことなども書かれていました。そして、
「あした、たべるのがたのしみです」
と結ばれていたそうです。
 
2018年1月の「神戸新聞」の記事で、英さんは薬剤師を目指して薬科大学に進学し、勉学に励む一方で、「語り部をしている父を手伝いたい」という目標も持っているとありました。震災後に生まれた自分だけれど、たくさんのことを教えてくれた兄姉を、語り継いでいくつもりだとの思いからだそうです。そんな彼女は、20歳を迎えていました。
 
あの編集手帳の記事をもう一度読み直し、昨日の昼はカレーを作って心静かにいただきました。


※画像は、クリエイター・いもきちとさきちさんの、タイトル「カレーライス」をかたじけなくしました。説明に「美味しいカレーです。」とありました。お礼申します。