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No.1226 短くも濃く生きる

携帯電話が鳴りました。
固定電話の調子が悪く、団地内の連絡網用に携帯電話の番号を登録しているからです。

「あら、Оさん、どうされました?」
「訃報です。〇〇さんが亡くなりました。連絡網で回してください。」
電話は、私の誕生日の昼過ぎのことでした。Оさんは、お通夜の日時、葬儀の日時、そして斎場の名前と場所を淡々と述べて電話を切りました。

どうしたんだろう?私よりずいぶん若いご主人の筈だが…。
その日の夕方、お通夜に参列しました。現役の勤め人でしたが、お人柄と顔の広さもあってか、斎場は別れを惜しむ来訪者で溢れんばかりです。彼の仕事ぶりを思わせました。

遺族からの代表挨拶で、喪主のご長男が参列者への会葬のお礼を懇切丁寧に述べました。そして、51歳という若さで永訣しなければならなかった彼の父親が1年半前にがんに侵され、ついに還らぬ人となったことも話してくれました。まだまだ働き盛りの年齢です。ご本人にとってもご家族にとっても、痛恨の極みだったことでしょう。

亡くなった彼の老父母が、遺族席で呆然としていました。日頃、何かと人々の世話を焼き、明るくハキハキ話すお母さんでしたが、我が子に先立たれた悲しみはいかばかりかと、かける言葉も見つかりません。訪問客で埋まった私の前の席では、女性が2人、ずっとハンカチで目頭を拭っていました。

「人生100年時代」とは、英国ロンドンビジネススクールの教授で、人材論、組織論の世界的権威と評されるリンダ・グラットン氏が長寿時代の著書『LIFE SHIFT−人生100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社、2016年)の中で提唱した概念だそうです。平均寿命が伸び、100年生きるのが当たり前になる時代を標榜した言葉でしょうか。
 
ところで、日本の2023年(令和5年)の100歳以上の人口は、厚生労働省によれば
総数92,139人(前年比+1,613人)で、その内訳は、
男性10,550人(約11%)
女性81,589人(約89%)
だったそうです。
 
人口10万人当たりで100歳人口を比較すると、全国都道府県のうち、
1位は、島根県155.17人
2位は、高知県146.01人
3位は、鳥取県126.29人
だともありました。また、最高齢は、女性は116歳、男性は111歳でした。
 
100歳以上の高齢者は、その調査が始まった
1963年(昭和38年)には、全国で僅かに153人ほどでした。その後、
1998年(平成10年)には、1万人を超え(35年間で65倍)、
2012年(平成24年)には、5万人を超え(49年間で326倍)、
2022年(令和 4 年)には、9万人を超えました(59年間で588倍)。
のように増え続けていることは、住民基本台帳の数字が証明しています。
 
しかし、誰もが100歳を迎えられるわけではないことを、54歳で父を亡くした私も、59歳で義父を亡くした甥も、51歳でお父さんを亡くされたこのご長男も良く分かっています。短くも色濃い人生だったかもしれませんが…。
 
或る意味、人生は非情で不条理で、なぜ逝かねばならなかったかは「運命」(いや、偶然?)としか言いようがないのかも知れません。選ばれる人がいるのなら、選ばれなかった理由は何なのだろう?そんな不毛な疑問を考えること自体ナンセンスなのでしょうか?

考えがまとまらず、ただただやるせない思いだけが心を暗くする、雨のそぼ降るお通夜でした。


※画像は、クリエイター・詩さんの、AIで作成した「雨の中を歩く人」の1葉です。お礼申し上げます。惜別した彼らの後姿のようでもあり、我が後ろ姿でもあるような…。