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No.1073 心のふるさと

「華」の字は紀元前の先秦(周代)の古典にあるそうですが、「花」の字は六朝の晋朝(265年~420年)の頃に出現したと言われているそうです。

元は「華」から「花」が生まれたのでしょうが、一般的に、「花」と「華」は機能が分かれており、「華」は多くは抽象的意味を受け持ち、開花の華は即ち「花」と書くのだという説明がありました。
 
かずえ(ゑい)婆ちゃんは、花の大好きな人で、田舎のわが家の菜園の脇で多くの花々を育てました。その中でも、ダリアやグラジオラスやウラシマや芙蓉などを好んだと見え「婆ちゃんの花」として強く印象に残っています。
 
母晴子は、コスモスを好みました。畑だけでなく、家の周りにも子供の背丈程もある秋桜が育ちました。「五反田」の屋号のわが家ですが、「コスモスやかた」と私は勝手に呼んでいます。秋桜は、10年前に85歳で亡くなった母の忘れ形見の花となりました。
 
さだまさしの作詞・作曲で山口百恵が歌った「秋桜」は、1977年(昭和52年)10月のリリースです。皆さんが、お幾つの時だったでしょうか?私は24歳でした。
 
 ♪  薄紅の秋桜が秋の日の~
  何気ない陽だまりに揺れている~ ♭
 
1973年(昭和48年)に14歳でデビューした山口百恵は、その4年後に「秋桜」を歌い、その3年後の1980年(昭和55年)に21歳の若さで三浦友和と結婚し、歌謡界から去りました。人気絶頂期にもかかわらず7年半の芸能活動に自ら終止符を打ちました。潔い引退でした。
 
私の心の「何気ない陽だまり」にも在りし日の母の姿が思い浮かびます。小学校6年生の時に母の背を抜かしてしまうほど小柄な人でした。40代半ばで夫に死に別れ、残された義父母を見送り、我々兄弟3人を迷わぬようにしてくれた小さくて大きい人でした。

母の笑顔は、私たち兄妹の心の故郷です。今年も実家に秋桜が咲きました。


※画像は、クリエイター・東北アベンジャー(tsubasa)さんの、タイトル「秋桜物語」の1葉をかたじけなくしました。実家にもささやかな秋桜物語がありました。お礼申し上げます。