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No.1241 Ya! You!

母は、のんきな性格の人でしたが、家事と農業を勤め上げた人です。夫に先立たれ、残った義父母に孝養を尽くし、そして、見送り、子供たち3人を片付けた人でもあります。

その母が、どこで仕入れたものか、「働く」という話になると、
「『世の中に寝るほど楽はなかりけり憂き世の馬鹿が起きて働く』ちゅうなあ!そげ出来たら良かろうけん、出来んわなあ!」
とよく言いました。羨ましく思う反面、心に釘を刺す歌でもあったのかもしれません。いったい、いつの、どんな人の歌だろうかと中学・高校生の頃に思ったものです。

後になって、横井也有(1702年~1783年)の俳文『鶉衣』(うずらごろも)の中の「蔵人伝」に、そのことが書かれているのを知りました。現代語訳でのご紹介です。

「蔵人伝(くろうどがでん)
天空に信天翁(あほうどり)がいて、地上には翌檜(あすなろう)という木があれば、人にもこの男がいて、来世では昔より言われている、
『世の中に 寝たほど楽は なきものを 知らであほうが 起きてはたらく』
(世の中は、寝ているくらい楽なことを知らないのか、愚か者が起きて働くのだ。)
と詠まれた歌の、これが返歌として、
『はたらかで 起きて居る身の 気楽さよ 寝てもあほうは 物思ふ世に』
(働かないで、起きている身の気楽さよ、寝ていても愚か者は世の中の事をいろいろと考えているのものだ。)
と詠んだのを、誰だったか左近衛府の長官が大いにこの歌に驚いて、『ものぐさの蔵人』と呼んだことにより、世間では、『怠け者の蔵人』とも呼ばれる事になってしまった。それ故に、この歌の心はその蔵人でなければ知ることが出来ない。ただ、蔵人も知らない内に詠まれたものだろうが。
『寝てや楽 起きてや安き 雪の竹』
(ずっしりと雪の重みのかかった竹は、いったい寝ている方が楽なのだろうか、それとも起きている方が楽なのだろうか。気楽に起きている人のように起きている方が楽なのだ。)」
 
也有は、尾張藩の重臣として仕えた後、職を辞して家族からも離れ、質素な草庵に隠栖し、自由で風雅な日々を過ごしたといいます。その晩年を、気負いなく、自由人として淡々と生きたともいいます。

その文人・横井也有の詠んだという「七首の狂歌」が秀逸です。面白すぎて笑えるのは、他人事ではなく「我が身世に経る姿」でもあるからです。何度か紹介しましたが、何度書いても書き足りないその老境に、唸り、驚き、悲しみ、悔やみ、吹き出してしまいます。

今回は、厚かましくもご本人の狂歌に、私的に感想を述べるという大胆不敵(素敵?)な試みです。也有師匠は、草葉の陰でヨヨと泣いておられるやも知れません。ご寛容の程を。

「皺はよるほくろはできる背はかゞむあたまははげる毛は白うなる」
 人生のこの「5大災厄」が、今、私の中でも絶賛大大大売出し中です!

「手は震ふ足はよろつく齒はぬける耳は聞えず目はうとくなる」
 私の場合、五分の四が大当たり。的中率80%の也有師匠にゾッコン!

「よだたらす目しるはたえず鼻たらす取りはずしては小便もする」
 この私でさえドン引きしそうになりますが、早晩の予言か?恐ろしや!

「又しても同じ噂に孫じまん達者じまんに若きしやれ言」
 ダジャレはダレジャ?「失笑」を物ともせぬ厚みのある顔の持ち主に?

「くどうなる氣短になる愚痴になる思ひつく事皆古うなる」
 淡白を良しとするのに「尿たんぱく」に不安が!気短・愚痴にご用心!

「身にそふは頭巾襟巻杖眼鏡たんぽ温石しゆびん孫の手」
 千手観音張りに老人の八つ道具をご開陳。これなくして老人の証なし?

「聞きたがる死にともながる淋しがる出しやばりたがる世話やきたがる」「いつもビリ天国行きもビリで良し」(第2回シルバー川柳)好きです!

もう、老人の功罪を言い当てた横井也有に「あっぱれ賞」を送りたい心境です。いや、考えてみると現代版也有さんの何と多いことでしょう。合言葉は「Ya! You!」


※画像は、クリエイター・トミーズひろしさんの1葉をかたじけなくしました。「山間の村をドライブ中に見つけました。農家の軒下に大根がたくさん干してありました。」という説明がありました。わが家の冬の風物詩でもありました。わが母も、よく働きました。お礼申し上げます。