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No.681 言葉の重み、言葉が生み出す世界

「俺はこの生き方を変えられない。もっと器用に立ち回れたら、県庁での暮らしも楽になるんだろうけど…。胸を張って仕事したいんだよな。俺がスーパーで、お前がスポーツクラブに派遣されてたらどうだったかな」
「あぁ…どうだったかな」
「お前ならたぶん最後までやったと思うよ。俺はスーパーに馴染めなくて、研修途中で県庁に出戻っていたかもな。俺はつぶしがきかなくてダメだな」
さやいんげんのごま和えを口にした。長いこと噛んだ。
 
桂望実『県庁の星』(2005年、小学館)の中の一場面です。
2万9千人の県職員の中から民間への人事交流研修派遣として将来を嘱望される6人が選ばれます。そのうちの桜井(スポーツクラブ)と野村(スーパー)との飾らないやりとりです。気の置けない二人の間柄や、心の距離が見えます。
 
私は、「長いこと噛んだ。」の短文にグッと来ました。県職員としての誇りと生き方が、研修先では通用しないことへの悔しさと、対応できない自分自身への歯痒さやもどかしさが、切々と感じ取れます。ある意味、プライドがへし折られます。言葉にしたくても言葉にならない思いが、喉元でつかえます。酸味と濃い胡麻の味が、苦みと一緒に舌に広がってくるようです。
 
たった7文字の持つ言葉の重み、感情の機微を伝える、見事な表現のように思いました。喉の奥にスッと入ってゆかない心のわだかまりが、さやいんげんに詰まっているようでした。何気ない言葉にも、使いようによっては、こんなにも奥行きや深みが感じられるのですね。平凡でいて、真実を伝えられる言葉の魅力が、そこにはありました。作家のお手柄です。

※画像は、クリエイター・占う なお*🦍🐖さんの、タイトル「週報 2021.6.14-2021.6.20」をかたじけなくしました。お礼申し上げます。