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No.1239 さもしい心

マブダチのチョコの1周忌の5月8日の夜、その日2回目の散歩に出ました。
 
幹線道路沿いの角っこにスナックがあり、毎夜7時から営業しています。店のオーナーの女性は60歳前後のようです。犬好きなようで、午後6時半頃にチョコと散歩に向かうと出くわすことがあり、チョコに話しかけては体をさすったり頭をなでたりして目を細くし、実の御主人以上にスキンシップを図ってくれる有り難い存在でした。
 
その5月8日の夜、彼女は店の前で柴の老犬を撫でながら、その主人らしき老夫婦と親しげに雑談していました。私は独り、散歩からの帰り道で偶然出会わせ、その横を通り過ぎただけですが、
「あら、チョコちゃんのお父さん、お久しぶり!」
と懐かしげに声を掛けられることなく、ましてや、チョコのように頭を撫でられることもなく、いや、私のことすら気づいていなさそうな様子でした。チョコと一緒であれば、きっと気づいて放ってはおかなかったでしょう。
 
その時に、ふと思い出したのが『万葉集』巻第20・4425番の歌でした。
「防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思ひもせず」
(「防人となって旅立っていくのは、誰の旦那さんかしら」と尋ねている人を見て、なんと羨ましいことでしょう。何も思い悩むこともしないで。)

作者名は不明ですが、防人に選ばれた人の妻の歌でしょう。そして、
「夫を防人として送り出した人の気持ちも知らないで!」
と、能天気に話をする人に対して、腹立たしくも羨ましい気持ちを抱いているのです。
 
チョコの1周忌の晩に、優しいその女性の他人への「犬愛」を見るにつけ、なにか羨ましくやるせないような、ちょっぴり悔しいような気もして来るのです。私の「ひがみ根性」がなすことなのでしょう。さもしい心です。
 


※画像が、クリエイター・有効期限付き田舎暮らしさんの柴犬の1葉です。「何故かいつも散歩を嫌がる娘。でも相方にはデレデレ。妬けるわー。」
の説明に笑っちゃいました。お礼を申し上げます。