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No.1235 傷だらけの青春

「母の日」のお祝いを申し上げます。
「母の日」といえば、必ず思い出す子供の頃のお話があります。

私が生まれた速見郡山香町は、2005年(平成17年)10月に杵築市に合併されました。その杵築市の水道事業「経営戦略」(令和5年3月発表)の冊子によれば、
「昭和39年8月に山香町水道事業が創設され、その後も順次簡易水道事業の創設によって給水区域 が拡張されてきました。」
と出てきます。私の住んでいた東山香の農村部落にも水道が引けたのは、1964年(昭和39年)第1回東京オリンピック以降の頃の事だったようです。昭和28年生まれの私は11歳でした。
 
それ以前は、裏の井戸から手押しポンプで水をくみ上げ、生活用水としていました。私の「母の日」のお話は、まだ水道が通っていない、私が10歳の頃のことです。
 
「母の日」の早朝、私は誰よりも早く床からそーっと起きだし、水甕に水を一杯に溜めて母の日のプレゼントにしようと考えました。いつも悪さばかりして母を怒らせていたので、せめてもの罪滅ぼしのつもりでした。前夜は早く寝て、翌朝ニワトリと競うくらい早く目を覚まし、炊事場横に据え付けられた手押しポンプをキコキコ押し始めました。
 
力を入れて1回押すたびに「ジャーッ!」とポンプの先から勢いよく音立てて水がめに水が溜まります。私は、母の喜ぶ顔が見たくてキコキコキコキコとポンプの柄を押しました。
「まあ、仁が、こんなに水を溜めちくれたんかい!有り難う!」
笑顔でそう言ってくれるのを頭に思い浮かべるだけで柄を押す手に力が入ります。
 
ところが、手押しポンプの柄は、業者によって最近付け替えられたもので、柄の全体にニスが塗られており、水に濡れると滑りやすくなっていました。私は調子に乗ってキコキコやっていましたが、いつの間にか水の跳ね返りがその柄にもついていたのでしょう。
 
ようやく水がめに半分くらい溜まったかというあたりで、力を込めてポンプの柄を押した途端、両手がツルッと滑りました。その瞬間、悪夢のようなアッパーカットが私のアゴを直撃しました。自分で言うのもなんですが、狙いすましたようなみごとなパンチで撃チンしました。
 
同時にボワッと顎全体に温かみを感じ、心臓が移動したようにドクドク音を立てました。
「ん???」
と思って手で触ると血が垂れていました。私は、顎を下から柄で打ち上げられたはずみで上の歯で下唇を強く噛んだようです。それは、温かくて錆びた鉄のような味でした。
「おっかー!おっかーー!!」
 
私のただならぬ声に慌てて起きてきた母が、
「あんた、鼻血なら上を向いちょかんかえ!」
と言って、首の後ろ側を力道山みたいにチョップで叩きました。違うっちゅうに!
 
「母の笑顔がみたい!」ばかりに挑んだ母の日特集でしたが、病院に直行することになり、逆に「母の悲しむ顔を見る」という、とんだプレゼントの日になりました。その母は2013年(平成25年)12月に85歳で寿を終えました。
 
私の傷だらけの青春は、あのころから始まっていたのかもしれません。
 
「亡き母の指ぬき太き母の日よ」
 岡本眸(ひとみ、1928年~2018年)


※画像は、クリエイター・Strolling Rickyさんの「横浜市,バラ 'Mother's Day'(母の日)」の1葉をかたじけなくしました。花のふんわりと柔らかそうな表情に母の面影を見ます。お礼申し上げます。