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No.1029 その人の文体に「ほ」

1955年(昭和30年)生まれの竹内政明さんは、讀賣新聞に入社し、2001年7月から同紙のコラム「編集手帳」を担当開始した論説委員でした。心温まる筆致と洗練された文体が魅力のコラムニストです。
 
その竹内氏が2009年(平成21年)に書いたお話です。紹介させてください。

顔と名前を記憶するべく、もらった名刺に相手の特徴をメモしておく人がいる。〈落ちていた俺の名刺の裏に「ハゲ」〉。何年か前、日本自毛植毛センターが募った「毛髪川柳コンテスト」の入選作にある◆想像するに、あわて者の営業マンが取引先を訪ねた際、外見の特徴をこっそり書き留めた名刺を廊下にでも落としたのだろう。落とした人も、拾った人も、ともに不運というほかはない◆歓迎されない取材で、渡した名刺をその場で破り捨てられたことがある。会うたびに初対面と間違われて名刺を差し出され、「そんあに影が薄いか、俺は」と鏡を見つめたこともある◆きのうの昼下がりに地下鉄を降りるとき、後ろから新社会人とおぼしき青年が脱兎のごとく脇を走り抜け、危うく突き飛ばされそうになった。約束の時間が過ぎていたか。彼のポケットにも小さな泣き笑いの種、初々しい名刺が収まっているだろう◆転んでけがをしないように。落とすなら「イケメン」とでも書いた1枚を…と、らちもない忠告を内心つぶやく間もなく、青年の姿は改札口に消えていた。

読売新聞「編集手帳」2009年4月8日

ここ数年、新型コロナ禍により、名刺交換もままならない事態となりました。それでも、カメラでスキャンした名刺を画像データやPDFファイルに変換してメール送信したり、QRコードにして読み込んでもらったり、紙の名刺を郵送したりするなどの方法がとられてきたそうです。やはり、名刺の持つ有用性は変わらぬものと思われます。

形態からすれば「名紙」とあるべきものなのに、なぜ「名刺」と書かれるのでしょう?

7~10世紀ごろ、不在の訪問先に自分が訪問したことを伝える手段として使われていたのが名刺です。当時は紙がなかったことから、“刺”と呼ばれる木や竹の札に名前を記していました。 “めいし”というと、名前を記した紙ということで漢字にすると”名紙”となりそうですが、発祥の地中国で“刺”が使われていたことから“名刺”になったといわれています。

ライオン印刷のHPより

また、「日本では、19世紀の江戸時代から名刺が使われるようになった」ということも、そのホームページに教えて貰いました。ヘーボタン乱打です。
 
「新入社員と思しき若者から突き飛ばされそうになった」体験から、ここまで文章を掘り起こして展開させ、唸らせたり心を温かくさせる竹内氏の文体に、私はゾッコンでした。ところが、2017年に急な病を得て、社会のマス目から身を引いてしまわれました。
 
目に沁み、心に沁みる文章が懐かしく思い出されることがあります。いつかまた、紹介させてください。お手紙を差し上げたら、こんな田舎者にも丁重なる自筆のハガキをわざわざ書いてくださった、そんな竹内氏のコラムを。


※画像は、クリエイター・よーぺいさんの、タイトル「noteを始めて2週間」の1葉をかたじけなくしました。その前に座ると、身の引き締まる思いがしてきます。お礼申します。