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これはなーんだ。
お家の庭の山椒の実。
今年初めて成って、全部でこれだけ。
モナミもアミーゴも、ともだちだー。
網網あみあみアミアミ。
彼らの手とは、ともだちのことなのか。蔓を手に延ばし、大きくなる。
きゅうりの手、とは。網網。アミーゴ。
ゴーヤの手とは、網網です。モナミ。
肉じゃがだよ。出来立て、採れたての玉葱もザクっと切る。さよならは仕方ないことで、また会える日がいつなのか、誰もわからないし、知らないし、知りたがるから、なほ、かなしい。寒い夏の夕暮れだもの、温かいものが食べたいね。ゆっくり進む静脈のなかのわたしの道標。行けば必ず戻るんだよ。待つ。
たとえばである。能天気に見えても、こころは雨降りであったり、そうだ、こんな5月の最後の日の短調聴いていて、寒いよ、泣いてもいいかな。触れている背中の温みが、唯一わたしの生きる縁であることなど、能天気人としては言えない。ふざけたりして、足の小指を椅子にぶつけて、そして、泣き笑いよ。
蓮だよー。
去年、実から、芽が出たんだ。
今年も、登場。
ほんと、うれしい。
これはなーんだ。
きゅうり。
ほお〜。
これは、なーんだ。
ゴーヤ。
ほお〜。
寒い五月の木の下でそっと座って待っている。嵐が過ぎたそのあとに来るのはきっと美しい朝だと信じていたいのです。滑らかなビロードも涼やかな紗も晴れやかなビーズも金も銀も何もいらない。穏やかな光とやさしい風と透き通るような水の流れ。なにも難しいことではない。待つということの、その先に。
わたしにとって、わたしが、最高であると、思うのは、結局は、わたし自身である。